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あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

2002-7 - 2002.07.01(日記)
絵描きのぼやき

2002年7月
7月31日 (水)


はる 463
 そうだ忘れていたけれど、明日から神戸の「ぎゃらりー島田」で百人以上が参加した小品展がある。なかなかそれだけを観に出掛けるのは難しいけれど、もし機会があれば観て下さい。

 

  ■2002年 8/1(木)~8/18(日)
  ミニアチュール・神戸展
   ギャラリー島田
  神戸市中央区山本通り2-4-24 TEL 078-262-8058
   http://www.gallery-simada.com


更新時間 : 21:39:54


7月30日 (火)


はる 462
 さて今日も暑かった。
 けっこう仕事ははかどってきたけれどどんなもんだろうか、ほぼ二日おきくらいに生の作品を晒しているけれど、これはまだ未完成なものでけっこう勇気がいる。本当はしばらく手元に置いておいて納得がいってから晒すのが本来のやり方なのだろうけれど、こういったサイバーギャラリーのよさは作家と同時に生きているという共有感覚だと思ってね、恥でもなんでも晒してしまおうって訳だ。ただしこれは完成作ではなくどんどん変化していく可能性があるわけで、そのことは考慮してみていてくださいな。基本的に実物とはかなり違うとおもいます。興味のある人は是非個展で観て下さいな。
 トップ絵の再リクエストがあれば答えます。


更新時間 : 22:52:38


7月29日 (月)


はる 461
 掲示板の調子が悪いらしい。どうもすみませんでした。
 私の掲示板は管理人(私のこと)の愛想が悪いのであまりどんどんと書き込みが進むってわけじゃない。とはいっても最近はとんと進まないなぁと思っていた。まぁ今までもそういう事はよくあったのでほっておいたのだが、そうか故障していたなんてこれは考えてもみなかったフェイントだ。「とえあえずの掲示板」を借りておいたので必要な人は使ってください。CMが入ってるのが気になりますがね。
 久し振りに本屋さんをのぞいた。大体絵画関係の雑誌か建築の本、インテリアや婦人雑貨の本を一通り目を通す。で気付いたことはどうやら雑誌の編集者は協議してしかけているのではないかということだ。単に偶然なのかなぁ、今週の雑誌の表紙に「椅子」が使われているものが多かった。アフリカの椅子からイギリスのカッコいい骨董の椅子、その他いろいろな椅子。椅子は嫌いじゃないのでワクワクしながらながめた。ブームがくるのかねぇ。作為的なものを感じるけれど、どんなもんだろうか?


更新時間 : 23:25:29


7月28日 (日)


はる 460
 山の家を探しているということを適当な人に話していたら、こんなところがあるけれど見に行かないか、ということで今日は近くの山まで家を見に出掛ける。
 人が住まなくなるにはそれなりの理由があるわけで、とんでもなく寒いとか町から遠いとかいろいろあるけれど、一番の理由は不便だという事だろうか。
 週末帰農とか週末の田舎暮らしとか、これからはそういったふうに利用する人が増えるのじゃないだろうか。効率や利便さだけを追求してきて今ここに至ったわけだけれど、金もある暇もある自由もある、ないのは教養だけだなんて笑い話があるけれど、ここにきて本当に必要なものはなんだったのかをじっくりゆっくり考える人が多くなる気がするね。だからといってどっぷり田舎人にはなれないわけでここのところのニアンスが微妙に難しいけれど、やっぱり週末田舎人ぐらいが適当だな。「ヘルマン・ヘッセの庭仕事」ってあったけれどあんなのが理想かなぁ。少しカッコよすぎだけど。
 今すぐにというわけではないけれど、これからどんどん体力も落ちていくわけだから改装するにもむつかしくなってしまうだろう。楽しんで遊べるのはここ十年くらいだろう。それまでにそれらしい家を探したい。


更新時間 : 22:10:56


7月27日 (土)


はる 459
 十年ぐらい前に友達から壊れかけたチェロを三つ貰った。これをなんとかいいところばかり集めて一つの見かけは普通のチェロに修繕した。修理といってもニスを落として塗りなおしたり、壊れた部分をなんとなく紙粘土でそれらしく作り直しただけで、オブジェとしてはそれなりだけれど、音の方は確かなものじゃない。でも私には愛着があった。
 そんな訳で一次はチェロの練習に燃えた。楽器は毎日やらなければ上手くならないとどこかで聞いたことを真に受けて、けっこう真面目に毎日練習したと思う。我ながらこういうことは一生懸命やる。
 何でも独学する私にとって最大の問題は何時の日にか飽きてくることだ。スケールなんて面白くない。教則本も簡単にマスターしたと思い込んだ。どんどん難しい曲にチャレンジする。とにかくバッハの無伴奏の一番が弾けるようになりたかった。スコアーを買ってきてカザルスのCDを何回も聴きながら挑戦した。何回も何回も繰り返してそればっかり練習すればなんとかなるもんだ。兎に角一番のプレリュードを通してまがりなりにも弾けるようにはなったと思い込んだ。と、とたんに飽きた。
 今はもうすべて忘れてしまった。またやるかなぁ。


更新時間 : 22:27:55


7月26日 (金)


はる 458
 とにかく暑い。午後からはとてもアトリエにじっとしていられない。何ていうのだろうか、今のアトリエは小さな作品が床いっぱいに広がって、私はほぼその中心にいる。全ての作品は私の手の内にある。何処に手を伸ばしても作品に手が届く。
 しかし問題は段々といらついてくることだ。毎年の事だけれど、これは何とかしなければ。個展はだいたいいつもクリスマスの頃、作品作ってるのは真夏の休みの頃で、当然時差がある。それはいいとしてもなんだろうなぁこのイラツキは。上手くいかないのはいつものことだけど、何か違うのではないか、そんな気がしてならない。
 大きな作品も小さな作品も基本的に作り方は同じだ。ほぼランダムに布や紙や粘土を張りこんでいく。絵の具を厚く乗っけたり、たらしこんだり、引っかいたり気が済むまでいろいろやってみる。偶然何か面白い形や物語が浮かんだら、そこから形をひろっていく。上手く形が出てくる場合もあれば、何回やっても駄目な場合もある。そのときはまた絵の具を適当に塗っておく。説明臭くなったり作為的な強引さが目立てばその作品はだめということだ。ここのところの判断が難しい。作品はいずれにしろ多少作為的なものだからだ。どこまで許せるかということだろうな。
 それじゃまた。


更新時間 : 20:46:55


7月25日 (木)


はる 457
 朝六時に起きて。川沿いを散歩する。夏休みのシーズンは子供たちがラジオ体操で集まっている。このあたりも少子化で心なしか寂しい気がする。

 夏の雲は子供の頃を思い出させる。ジリジリと焼け付くような日中の日ざしはこの年になれば結構こたえるけれど、子供の頃は平気で外を飛び回っていた。誰よりも黒くなる事が自慢で夏休みは、ほぼ義務のように毎日海に遊びに行っていた。
 最近のプールのように何かの遊びがあるわけでもない、ただ単に飛び込み台からみんなで飛び込むだけで楽しかった。やっと百メーター泳げるようになった頃、念願だったブイまでやっとのことでたどり着いた。で振り返って見た岸が遥か遠くに見えたショックは、今でも忘れない。けっこうこのことは後までこたえた。誰にも言わなかったけれど、今でも時々その時のシーンを思い出す。
 八月のお盆を過ぎると急に人が消える。海の家もつかのまの賑わいが遥か昔のようにすごすごとたたみ始める。海の水が急激に冷たくなって、あのいやなクラゲ君が我が物顔でねじりよって来る。友達が一人また一人やってこなくなっても最後まで海に出掛けた。夏の終わりの海もまた好きだった。


更新時間 : 19:34:54


7月24日 (水)


はる 456
 素人がパソコンに目覚めて遊んでいるうちに、自分のホームページの情報まで消してしまった。プロバイダーのパソコンまで入り込んで消してしまった。なぜそんな事になってしまったのかと言えば、最近頻繁にトップの絵を更新するためにいらなくなったソースが段々にたまってきて、整理したいなぁと思っていたところ、ちょうどいいソフトが見つかって「いいや消してしまえ!」とやってしまったところ、パソコンがゴックンとウインクしたかと思うと、コトコトコトと消えてしまった。「あちゃ~、どないしたらええねん!!」頭の中が真っ白になってしまった。
 とりあえず元のソースを持っている甥っ子に連絡、彼の言うには何とかなりそうなので一安心。ゆっくり考え直してみる事にした。削除したホルダーは何処へいったのか?案の定「ゴミ箱」に整理してありました。でもう一度転送しなおして一件落着というわけだ。

 ワープロを使い始めたとき分厚い説明書を読むのが面倒で、無手勝流でやって失敗しながら何とか使っていた憶えがある。そのときもまた今のように一瞬にして何時間もの労作を消してしまったおぼえがあるのだが、今回はたまたまゴミ箱に止まっていたからよかったけれど、消えてしまっていても文句は言えなかった。
 デジタルの良さは何でもマニアル化して、すばやく均等に情報をストックしてくれる。そのことはもう何をいってもアナログはこのパソコンに負けてしまうだろう。だからたとえば昔のように作家の直筆の原稿などなくなってしまうだろうし、もっといえば文学館なんてまったく時代錯誤の建物になってしまうだろう。作家はフロッピーに原稿を入れて編集者に渡すのだ、いやこれからはメールで世界中何処からでも原稿はわたせるのかもしてんなぁ。その場合オリジナルの原稿なんてまったく意味ないことになる。
 さて話が長くなって何がいいたいのか分からなくなってきた。とにかく我々の手仕事は素晴らしいということがいいたかった。


更新時間 : 20:28:53


7月22日 (月)


はる 455
 今日も暑かった。
 トップの絵は家の玄関です。かけてある絵は「小さな天使」の絵でタイトルはまだありません。そのうちにまた晒しましょう。
 今日のところはこのへんで。


更新時間 : 23:25:59


7月21日 (日)


はる 454
 とにかく今日は暑かった。
 
 文学賞や美術賞みたいなものはたくさんある。まぁ文学でいえば芥川賞や直木賞これが一番有名だ。よくいわれるのが美術界の芥川賞とか**界の直木賞とか言う具合に使われる。一時日本がまだ金満国家だった頃、各地方の自治体が**文学賞とか++美術館なんてまったく後先考えずに制定した。驚いたことに金が余って各地方に一億円ずつ配った首相がいたのだから、それでも誰も反対せず金塊にかえて県民に触らせるなんてことを、真面目な顔してやっていたのだから、日本の政治など漫画でしかない。
 閑話休題
 この間ある本を読んでいたらこんな一文が目に止まった。
 「人は生きてきたようにしか死んでいけない」
 どういうことかといえば、例えば子供時代にいっぱいの愛情を受けて育った人は、大きくなって親になったときその子供にまたたっぷりの愛情を注ぐということだ。ここまではよく言われることで新しくはない。ここからが新しい。更に進んでたっぷりに愛情を注いできた人間は年取った時に愛情をいっぱい受けて死んでいけるという意味のことが書かれていた。なるほどそうかもしれないね。
 もう少し進んで、「今が永遠だ」って言えないか。


更新時間 : 22:40:52


7月20日 (土)


はる 453
 どうもこんにちは、昨日はあまりにも暑くてサボってしまった。んな事も無いのだけれど、とにかく「夏が来た」という感じの天気が続いています。
 昨日は夜のレイトショーで例の「スター・ウォーズ」を観に出掛けた。このシリーズはもうすでに終わっているのだけれど、新しく出来たとなるとどうしても観てしまう。でもこれは駄作。
 軍団の戦闘シーンとか宇宙船の派手なつぶし合いのような特撮はさすがにものすごく精巧に出来ていて、これはこれだけを楽しみに来る人もいるのではないか、と思わせる凄さがある。こういったものを撮らせるとルーカスの右にでるものはいないのかもしれないけれど、はっきりいってこういった戦争ごっこのドンパチも宇宙船の迫力もこれでもか、ってやればやるほどもう白けてしまう観客がいることに彼は気付いているのだろうか。これからどんなに凄い特撮が来ても、初めてスターウォーズ観た時にタイトルバックに例のデカイ宇宙船がゆっくり通り過ぎていくシーンの感動を越える事はないだろう。
 とても難しいことなんだろうけれど、物語は単純な方が人を感動させるものだ。エンターティメントをこころがける鉄則はそこらへんにあるのではないだろうかね。

 トップの絵はどんどん新作に変わっています。気が付いた?飽きたらやめるけど、とりあえず色々試しているところだ。
 それではまた。
 


更新時間 : 19:43:45


7月18日 (木)


はる 452
 今日も午前中用事でつぶれる。前に装丁を頼まれていた地元のアマチュア作家から電話で、本が出来たから見に来てくれということなので出掛ける。装丁の仕事はこれまでも何度か関わっているけれど、これはこれでなかなか奥深いものだ。毎回装画に私の絵を使う程度の関わりだけれど、デザインを含めて総合的に関わっていかないと満足するものは出来ないだろうと思った。
 その後近くの画材店によって、いつものようにダベッテしまった。近いうちに神戸のミニアチュール展に作品を送らなければならないのだが、ちょうど手ごろなサイズの額がなくなってしまっていたので注文する。なんだかんだ言ってはすぐには店を出られない。こことはもう25年以上の付き合いになる。最近は段々額も自分の手で作るようになってきたので、ここに来る事も少なくなってきたなぁ。絵の具も手製だし。
 午後から気温が急上昇。とても仕事はできない・・・なんて言い訳。デジカメで遊んでしまった。なんだかんだで一日終わり。
 
 明日はしっかり仕事します。


更新時間 : 21:05:18


7月17日 (水)


はる 451
 どうだ!デジカメをやっと買ったぞ。
 トップの看板を最新の絵にした。付属のソフトしかないのでこれでは重いのかな。どうでしょうか?
 今日はこんなところで。


更新時間 : 23:04:18


7月16日 (火)


はる 450
 昼から野暮用で久し振りに先生のところに出掛ける。私には絵画上の特定の師匠はいない。あえていうなら上手い年の取り方の師匠とでも言ったらいいのだろうか。
 先生は今年83歳になる。長く学校の先生をなさっていて最後は小学校の校長先生を勤められた。退職後の勤め先に請われて知的障害者の教育たずさわっておられた。私が初めて会った頃は養護学校の先生をやっておられた。早い時期に奥さんを癌で亡くされて、その喪失感をつづった悲しい文集をずいぶん前にもらった覚えがある。
 いつもは玄関先で追っ払われるのだけれど、今日は二階の居間まで通された。もうずいぶんと長く一人暮らしをされていて、自宅の前の敷地にはお孫さんたちご夫婦が住んでおられるということだけれど、日常生活は食事も含めて独立してやっておられるということだった。この間もエジプトまでツアーで行って来たと自慢されていたように、本当にお元気で朗らかで楽しいお年よりを絵にしたような方だと思う。
 信仰の話になって、こんなことを言っておられた。少し前のNHKの番組でインドの信仰の話をやっていて(ベナレスだったけ)、人の「死」に対する考え方の日本との相違が浮き彫りにされて考えさせられたというのだ。その中である年老いた親を看取る家族の話をやっていたのだが、その地にはインドの各地から「死」を快く迎えるためにやって来る。インタビュアーが「死は怖くないですか?」と尋ねるとその老人は「何がこわいものか!この地で死を迎えられるのは最高の喜びなんだ」とささやいていた。
 我々は多くのものを得た。お金で買えるものは。しかし人生の最後になって「死」というものに向かいあった時に、それらはなんの役にもたたない。本当の幸福というのは最後の最後で喜びながらそのときを迎えられるこの人たちではないのかと。

 歳を取る事はわるいことではないけれど、確かに今はこういった話をする老人がいない。そんな話をだれも聞かない。いずれは自分たちにかえってくる事なのにねぇ。どう思う?
 
 


更新時間 : 19:25:38


7月15日 (月)


はる 449
 スターウォーズにいこうと思っていたけれど、何だか台風がまた来そうなので止めにした。近所の年寄りに「スターウォーズを観にいこうと思ってる」といったら「なに!ウミ・ボォーズを観にいく?」と聞き返されたので、そのままにしておいた。彼は「ウミ・ボォーズ」だと思ってるだろう。
 
 一人旅のいい所は誰に相談することなく何処に行こうが自由ということだ。反対にいえば何処に行っても一人だということことでもある。ツーリングは小回りがきくしけっこう楽しいところもあるけれど、いかんせん体力を消耗する。一番の問題はだんだんに疲れてくると、旅の目的がだだバイクを運転するということだけになってしまうことだ。観光地や名所旧跡をまわっても、それ自体はそう面白いものでなく、すいすいとまわってしまって後に何も残らないということになる。人生も似たようなもんだけれどね。
 札幌から旭川に向かった。旭川駅は思っていたより小さな駅でその日は久し振りに風呂に入って駅の待合室でゆっくりと寝た。前日に風呂に入ったためか、いつもなら一番電車が来る前に起きるのにその日は何だか寝過ごしてしまった。朝飯でも食うかと思って寝袋から出たのはいいけれど、財布が見つからない。いつもはしっかりジーパンのポケットにしまっておくのだけれど、そういえば昨日は上着のポケットにしまってそのまま寝てしまった。後悔先にたたず、まぁ他に分散してお金は持っていたのでとりあえずのお金はあったけれど、このまま旅は続けられなくなってしまった。
 とにかくバイトしようと思い、札幌まで帰ることにした。途中ゴルフ場や牧場があったので飛込みでバイト頼んでみたけれど、当然断られた。風体がホームレスだもんなぁ無理も無い。
 北海道大学の敷地をうろついていた。ヒッピーの世代なら理解できると思うけれど、当時全国から北海道に得体の知れない連中が集まっていて、何かコミューンをつくるんだみたいな雰囲気があった。嫌いじゃないし、好奇心もあってそんな仲間にいれてもらった。今じゃ時効だと思うけれど、北大のボロイ施設を不法に占拠していたのだと思う。中に入ると中は真っ暗で色んな人が雑魚ねしていた。ある人はインドのシタールをもって旅していたし、小学校のときの笛を持って大道芸人よろしくジャズのような即興の生演奏で小遣いをかせいでいた人もいた。北大の学食を利用させてもらっていて、そうお金もかからなかった。
 そうこうしているうちに夏も終わりに近づいてきて、だんだんにそういった旅の人も少なくなって来た。持ち金も少なくなって来たこともあって何日かの日雇いのアルバイトをする事になった。当時札幌オリンピックのためいろんな所で道路の工事をしていて、人夫の募集は毎日あった。荷物をまとめてトラックに乗せられて宿場に向かう。同じような連中が2、2人いたので心強かった。まぁ売り飛ばされることもないだろう。
 さて続きはまた今度。


更新時間 : 20:12:53


7月14日 (日)


はる 448 G
 今日は朝からバタバタと個人的なことで時間を取られる。

 午後は久し振りにお袋に手紙を書く。この歳になっても親は親であって何となく照れくさい。ここ最近の東京の展覧会のカタログやこの間の地元の展覧会のカタログを一緒に送る。何となく一仕事した気分。元来親不孝もんだ。今更親孝行しても決まった輪廻は変わることはないとは思うのだけれど、まぁいいや。ややすっきりとした。
 アトリエの床は垂れた絵の具や糸くずでとても人様に見せられたもんじゃないけれど、私にとってはこれが唯一の解放区。暑い夏の午後は座布団を枕にゴミの中で昼寝する、これもなかなか粋なもんだよ。気が付けば陽は西に傾いていた。
 それではまた。


更新時間 : 20:42:17


7月13日 (土)


はる 447
 暴走族なんていうけれど、何時の時代も若者は無軌道だ。分別のある若者なんて見たことが無い。案外少しはずれているくらいの方がまともな大人になるのかもしれない。

 大学生になった初めての夏休み実家の神戸から北海道に行く事にした。それもできるだけ誰もやっていない方法で行きたかった。当時イージーライダーという映画が流行っていて、多くの若者がそのスタイルを真似してあの独特のバイクのかっこうでツーリングしていたけれど、私には原付の免許しかなかったし、金もなかった。手に入れることができたのは友達から譲り受けたあのホンダの名車スーパーカブだけだった。
 できるだけ車の少ないルートで行くために明石から日本海に抜ける事にして、後は陸続きだから何日掛かっても少しでも前に進めばそのうち青森まではいけるだろうと全くのどんぶり勘定ででかけた。さすがの名車カブでさえ一気に100キロ走るとよくオーバーヒートした。それ故サイクリングの兄ちゃんと行ったり来たりデッドヒートを繰り返した。当然途中は野宿で、風呂は何日も入らなかった。ホームレスのおっさんがどうしてあんなに黒光りしたどす黒い肌をしているのか良く理解できた。約10日かかって青森に着いた。それでもけっこう嬉しかった。
 北海道ではまず札幌を目指す、後のことはそれから考える事にした。大通り公園で盆踊り大会をやっていて、それに飛び入り参加。何故か何とか賞をもらったことを憶えている。
 
 さてこの続きは又今度。
 
 


更新時間 : 21:28:03


7月12日 (金)


はる 446
 トップの看板を変えた。デジカメがないのでこのは作業けっこう大変だ。いったん紙焼きにされたものをスキャナーで取り込むわけだけれど、いかんせんスキャナーもない。なんもない。

 この「いまここにいる」は(6/29付)地元の新聞社の文化欄「余白を読む」・鶴見俊輔の「金子ふみ子」を読むの挿絵です。文章は著作権があるから載せることはできないけれど、兎に角この金子ふみ子って人はすごい人です。まぁ今の時代からは想像もできない太い人です。かつて我々日本人もそんな気骨のある、一本筋の通ったそういった生き方をした人が多かったのかもしれませんね。もし興味があるならば調べてみて下さいな。
 今日はとりあえずここまで。


更新時間 : 19:25:49


7月11日 (木)


はる 445
 家を探す時にざっと50件は見てまわった。無論、条件が非常に厳しい(資金が無い)のが分かっていたので無理も無い。探してくれた知り合いに感謝こそすれ文句を言えばバチがあたる。市内から少し離れた過疎地にまで条件を広げればそれなりのいい物件が見つかったかもしれないけれど、諸事情で市内の今の場所に落ち着いた。
 古家に手を加えて自分好みの家に改装するというのは、我々のような人間にとってそれこそ最高の好奇心をそそられる。ふりかえって考えてみれば、子供の頃の雑誌の夏休みの特集は「自分の住みかをつくる」とか「木の上の家」とか、今から考えると誠に牧歌的な楽しさに満ちていた。
 なにぶん素人がやることだから、プロの目でみれば間違いだらけで滅茶苦茶だとは思うのだけれど知ったことではない、何せこの私が住むのであるから文句はないはずだ。ってわけで随分と楽しませてもらった。
 「路地」といえば京都の細長い奥まった町屋を想像するが、そんな格調高いものではなく、我が家の路地は単に「車の通らない舗装されてない私道」でしかない。そういえばそんな路地も少なくなった。どこでもかしこでもあの無表情なアスファルトで舗装してしまうので、確かに便利なんだけれど味がない。雨が降ると水がたまってぐしゃぐしゃになるけれど、我が家の前は未舗装の路地のままだ。それでいいと思ってる。お客さんには申し訳ないけれど。


更新時間 : 19:44:37


7月10日 (水)


はる 444
 今朝は強い雨の音で目が覚めた。どうやら台風が近づいているようだ。
 海の近くで育ったといっても、瀬戸内海は字のごとく内海で荒くれだったイメージはない。いつもおだやかな静かな表情を見せていた。夏でも冬でも海の色は違ってはいたけれど、ほとんどそのイメージを壊すことがなかった。ただ静かな海も一度だけその表情を変えた時があった。
 台風は何年かに一度、その町をかすめて通過した。子供の頃はだれでもそうだろうけれど、警報が出れば学校は臨時休校になるので大人たちの心配をしり目に内心「どうか登校時間に来ますように」と祈っていた。
 その台風は紀伊水道を北上して明石海峡またぎ一気に上陸した。今までのほとんど場合、一度上陸して勢力が落ちた状態で再上陸するのが常だった。しかし今回初めてむきだしの荒くれた台風を見た。それは今まで見たどんな状態の海とも違がい、見たこともない表情をしていた。「海は怖いんだ」という印象をはじめて持った。
 


更新時間 : 20:46:20


7月9日 (火)


はる 443
 団塊の世代は我々よりちょっと上の人たちだ。言ってみれば全共闘世代で一番暴れていた始末の悪い人たちという事になる。人口ピラミッドでは、これまた一番膨らんで人数の多い世代ということだ。我々はその後ほんの少し遅れてきた人たちという事になっている。それでも今と違って子供の数が多くて、小学校は運動場に難民小屋のようなプレハブ校舎がドンドン建ってそこで授業するのが普通だった。
 雑誌のターゲットは一番人口の多い世代をマークするらしい。というのは「少年マガジン」や「サンデー」にしろ「平凡パンチ」や「プレイボーイ」なんかでも我々の世代と共に育ってやがて廃刊となる道をたどる。
 最近の雑誌を見ていると男性雑誌にしろ女性雑誌にしろはっきり50代をターゲットにしていることが見て取れる。たとえば「老後の生活設計」「美しい五十代」みたいな感じのタイトルが多い。いいにしろ悪いにしろ我々の世代が世論をつくっていることが分かる。これがけっこう問題だ。
 団塊の世代の親は戦後のベビーブームの時に親になった世代だ。彼らは気付いているかどうかは別にして「敗戦」という大きなトラウマをかかえている。それは計り知れないものじゃないかなぁ。戦前「良い」とされていた物が、戦後は「悪い」と転換したのだからね。そして降って沸いたような、アメリカンスタンダードの「民主主義」「自由主義」。
 彼ら(我々)には確固たる指針というものが欠けている。長期に眺めるビジョンがない。それは間接的に「敗戦のトラウマ」ではないのかなぁ。考えてみれば今度のバブルの崩壊もすでに予定されていた結末なのかもしれない。
 この「トラウマ」を克服する方法は「**・・・」しかない。この**に適当な言葉を考えてくださいな。それではまた。


更新時間 : 19:53:12


7月8日 (月)


はる 442
 炊飯器の中の釜がだめになって買い換えたら、驚いた事にもう少し出せば新品のその炊飯器が買えた。これは明らかにおかしなことだけれど、何をどう改善すればいいのかわからない。
 デザイナーって名のつく人種は数限りなくいる。みんなそれなりに一生懸命いい物を作ろうとしているのだろうけれど、もう少し考えてデザインしてくれたらもう少し使いやすいのになぁと思うことが多々ある。
 例えばこういったパソコンの部品なんかでも、各社で純正品を使って欲しいというのは理解できるけれど、消耗品でさえほんの少しのデザインの違いで使う事ができなかったり、時代遅れで手に入れにくくなったりする。こういったことは多分日本だけの浅はかさではないだろうか。
 腹が立ったことは、掃除機のゴミのパックの種類の多さだ。なんだあれは。メーカーによってまた機種によって型がほんの少しずつ違うのだ。使ってる機種なんて知るか!どれでも使えるようにしておけば済むことじゃないのか。ぼけ。
 冷蔵庫を新しくしたい。私の家の台所は狭い。それ故できるだけスリムな冷蔵庫を買った。それにあわせて水屋など置き方を考えておさまっている。ところが同じ型の冷蔵庫がない。なぜだ。冷蔵庫を買うたびに台所の模様替えまでしろというのか。
 こんな事は例をあげれば切り無いと思う。目先の新しさや売れさえすればいいという考えだから駄目なんじゃないだろうか。
 日本がこれから先世界で名誉ある地位を得たいと思うならば、敗戦の悪夢も味わった、一生懸命わき目も降らずに働いた、それ故世界一のお金持ちも経験したしバブリーな夢も見た、今は一時の勢いはないけれど、「いい物はいつまで経ってもいい物だ」という普遍的な価値を身につけた民族だといわれるようになることだと思う。


更新時間 : 19:53:45


7月7日 (日)


はる 441
 デシャンが「泉」と称して既成の男性便器を展覧会に出品してからまだ百年はたたないのだろうか。考えてみればアートにはこの手の「だまくらかし」は常套句で、千利休も同じような手で当時の豪商や武将を手玉に取った。何でもない朝鮮の生活雑器を「みたて」を変える事で「貴重品」に変えてしまった。まさによく言えばアーティスト、悪く言えば詐欺師ということになる。(デシャンのやったことは少しニアンスは違うのだけれど)
 ワールドカップのように目的なり目標なりがはっきりしている場合はとてもまとまり易い。「ニッポン・チャチャチャ」はある種の心地よさを含んだリズムでもあった。(ここに来て同じアジアの国でも韓国と日本の応援の温度差みたいなものが取り立たされているけれど、私は日本の応援のある意味「クール」さみたいなものは、我々日本人の良くも悪くも「分別」みたいなものから出ていると思うのだけれど、どうだろうか。この話はまた今度)
 百人いれば百の解釈が可能なのがアートだともいえる。まぁだから面白いのだといえるのだけれど、案外作家の思惑とは違う方向に解釈されてしまうことも「あり」なのだ。


更新時間 : 22:38:21


7月6日 (土)


はる 440
 今日は一日、美術館で審査と陳列作業。学生のアルバイトは懐かしい。何十年か前は自分たちも同じようにアルバイトをした。
 審査は午前中に大方終了、スイスイと作品がより分けられていく。ここは極小さな地方の団体だけれど、大なり小なりどこでも同じようなことが行われているのだろう。絵を描く事に古いも新しいもないのだけれど、なぜか段々に若い人が少なくなっているようだ。昔と違って画廊とか何とかホールもいっぱいあり、発表のチャンスはここだけではないからね。それに審査されるというのもいやなのかもしれない。美大や専門学校などがあんなにあるのだから、全体的な数は少なくはなっていないと思う。
 美しい山の風景やありきたりな人物を描いても何の魅力もない。描くという行為に面白さは隠れているのだけれど、その楽しさはなかなか一朝一夕には味あわせてくれない。美味しいところはすぐにでも手に入れたい最近の子供たちには難しい注文かもしれない。
 受賞者も決まって明日は授賞式とか懇親会とかそういった行事が一日行われる。
 そんな事で今日はくたびれてしまった。またあした。


更新時間 : 22:10:09


7月5日 (金)


はる 439
 今から小さな展覧会に作品を賛助出品する。大きさは20号で女性が一人こちらを向いてポーズしている。まぁいつものようにそう具体的に描かれた絵ではないのだが。問題はタイトルをどうするかということだ。
 さて今回のW杯で印象に残ったシーンがある。たぶんセネガルかカメルーンのアフリカの選手だった。フランスから一番最初に得点した時、その選手がとったポーズが忘れられない。ワールドカップだけではなくサッカーの得点シーンのパホーマンスはけっこうおもしろい。色んなパターンがあってその国のお国柄がでる。多くの選手は自分というものを強烈にアピールする。「この俺がやったんだ、どうだ!」っていう具合に。ところがアフリカの勇者がやったポーズは違っていた。まず自分のユニホームを脱いで芝生の上に綺麗に置く、それを中心に何人かの仲間と肩を組んで踊るのだ。これがどうやってもアフリカの踊りであって、神に感謝する例の踊りにみえるのだ。それがなかなか様になる。
 キリスト教の専売特許ではないけれど、十字架はなかなか良く出来たシンボルだと思う。東洋でも十字架に似たシンボルを用いる、「才」という字は神様に願い事を届ける添え木のかたちからきた。「在」と言う字はその下に土の人形(自分自身)を置いたかたち、で「ここにある」ことを現したらしい。
 「いのりのかたち」は色々だ、けれど人は何か「物」に対して祈ることが多い。それがユニホームだったり、土の人形だったり、十字架だったりするのだけれど、何かしら分かりやすい偶像の方が普遍性がありそうだ。
 で今回のタイトルも色々考えたのだけれど、いいものが浮かばず凡庸なものになった。展覧会が終わってからもう少し考えてみよう。この文章から察していいタイトルある?
 


更新時間 : 19:16:43


7月4日 (木)


はる 438
 この春に神戸の実家に帰ったついでに、京都に寄った話はした気がする。大体桜のシーズンに神戸に帰ることはまれで、いつもは東京の大きな展覧会がひかえているので帰れなかった。今年はまぁ個人的な事情があってこの時期に帰省した。京都の八坂の丸山公園から哲学の道というありふれたコースを散策したしたのだが、ちょうど満開の桜並木の中をでハラハラと散る花吹雪のなかを歩く事になった。個人的にこういった通俗的なシーンに弱い。
 その後三十三間堂にいく。少し前東京国立博物館でたぶん「金と銀」っていう企画だったと思うのだけど、ここの「千体観音像」の一部が正面に展示されていて、その圧倒的な存在感にうたれた憶えがあったのだが、これをその場で実際に観てみたかった。こういったものの前では、全く言葉がない。
 私達の身体には知らず知らずのうちに自然に仏教的な考え方が身についている。だからといって毎日の生活の中で信仰として仏教に帰依しているかと問われれば、否と答えざるをえない。信仰についてそれほど考えもしなかったし、そのことで不自由を感じたこともないのだが、ここに来て少し考えてみる必要があるのかなぁと思った。
 信仰について書くつもりはじめたのだけれど、うまくまとまらずに終わった。テーマが大きすぎた、続きはまたいずれ。
 
 


更新時間 : 17:53:04


7月3日 (水)


はる 437 G
 英語の勉強で苦労した記憶は色々あるけれど、最初にそれぞれの月の呼び方を憶えさせられたのには閉口した。
 英語の単語は多くの場合ほぼ日本語になっている。たとえば朝机の上に乗ってるものを英語で言ってみろといわれたら、ほとんどの単語は翻訳しなくてそのままで通じる。机はテーブル、茶碗はコップ、イスはチェアー、紅茶はティー、パンはパンでもいい、ジャムはそのまま、とまとはトマトでハムはハム。翻訳しなきゃならない物なんてないのだ。ところが九月、十月、十一月、十二月ってなんていうのだ、聞いた事が無い。まっさらな言葉を覚えていく事はけっこう苦痛だった。
 イタリア語を何とか練習し始めた時面白いことに気が付いた。イタリア語で七は(セッテ)八は(オット)九は(ノーベ)で十は(ディエイチ),勘のいい人は気付いたかもしれないけれど、英語の九月からの月名とほぼ一致する。漢字でもそうだけれど語源までさかのぼるとけっこう面白いことに行き着く。これはローマ時代までさかのぼる当時のローマの王さん(ヌマ王)が暦をかえたらしい。当時今の三月が第一の月だった。それから勘定して七番目の月ということで今の九月を(セプテンバー)ということになったらしい。あとは順番だな。
 まだあるおどろいたことに七月は(ジュライ)でしょ、ラテン語で(Iulius)なんとユリウス・シーザーを記念してつけられたそうな。月の名に自分の名前が付けられるなんて凄いと思わないか!多分人類がある限り消える事がないのだからね。
 それではまた。


更新時間 : 09:00:06


7月2日 (火)


はる 436
 鉱石ラジオって知ってるかい?ゲルマニュームラジオともいう。これを知っているやつはもう50近いはずだ。
 子供の頃自分の小遣いで買えるメカといえばこれくらいしかなかった。それでも充分に音楽や放送を楽しむ事が出来たんだな。例によって分解してみても、不思議な事に機械らしいものは何も入ってなくて、極小さな米粒のようなチップが一つ入っているだけだった。これがまたとても不可解なことの一つだったな。
 微妙なイヤホンから流れる音をどうしても一人前のスピーカーから出る音にしたくて色々考えた。エジソンのロウカン蓄音機のような立派な漏斗状の拡声機をボール紙で作ってかぶせたりしたけれど、思ってたほどの効果が得られなくがっかりした。
 最近のようにちょっと我慢すれば何でも好きなものが買える時代じゃなかったということが、今考えるといろいろ工夫して物を作るという習慣を育ててきた気がする。しかしまぁそれはそれ単に懐古趣味かもしれんなぁ。今でもかたちは違うけれど「工作少年」はいるのかもしれないね。
 ところで、毎年のことだけれど、この時期は小さい作品を作っている。まさに作っているという感覚に近い。アトリエにはダンボールやら布の切れ端、ボンドやガラクタが鳥の巣状態に重なりあってる。ここらあたりの感覚はどうやら子供の頃の「工作少年」に近いものがあるなぁ。実に懐かしく、楽しい作業だ。今年はどんな作品となって生まれ変わってくるのだろうか、つくり手の私にも今の所わからない。私自身個展を楽しみにしている。
 それではまた。



更新時間 : 20:42:11


7月1日 (月)


はる 435
 なな月です。また後ほど。


更新時間 : 08:46:24



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