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あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

2001-12 - 2001.12.01(日記)
絵描きのぼやき

2001年12月
              まれびと ひつじについて
12月31日 (月)


はる 279
 今年最後の「ぼやき」となりました。みなさんお元気でおすごしでしょうか?

 今日は朝から大掃除。台所の換気扇を外してみて驚いた、油だめにこってりとグリース状のオイルがほぼ満杯にたまっていた。「ちりも積もれば山となる」「霧も集まればやばくなる」
 フローリング(昔のただの板張り)の床にワックスをかけるため、かるく雑巾で水引きする。以前の人は床に油性のニスをかけていたようだ。それが気に入らないので適当に擦れてニスがはげるのを待っていた。ぼろい板でもむく板は合板にはない味がある。私の家では台所だけが最初っから板張りだった。(後は安物の合板のフローリング材を買ってきて自分で直接床に貼り付けた)
 夕方、年越し蕎麦を食いに石和まで行く。蕎麦は大好物で以前は良く食べた。消化に悪いということで少しひかえていたのだが、やっぱり好きなものはうまい。蕎麦湯が好きで最後の一滴まで飲み干す。飢えた人に思われたかしらん。
 今年最後の月を見に行く。冬の月はキンキンと音がするほどよく冷えていて美しい。山に囲まれた地形ゆえ目算よりかなり遅れて月が昇る。今年一年の無事と健康にに感謝してかるく手をあわせる。また来年もたのんまっせ!

 それではみなさん良いお年を!
 


更新時間 : 21:22:21


12月30日 (日)


はる 278
 世の中が休日状態になると、カウンターが進まない。もともとたいしたことないのだけれどね。
 商売人に踊らされているのかもしれないけれど、クリスマスの行事はそれなりに老若男女楽しんでいるように思える。不思議なもので24日を過ぎると、どうしてあんなに全てのものが色あせてしまうのだろうか。特にクリスマスツリーなど大きければ大きいほど哀れでしかたがない。以前はあれほど輝いて見えたのに、「幽霊の正体みたり枯れおばな」・・時と場所を間違うとただのくずでしかないよという例え話。
 クリスマスからこの一週間がなんともいえない間抜けな時間。日本は西洋のお祭りの雰囲気から一気に和の儀式へはや変わり。何でもありの節操のなさもけっこう好きで、物心ついてから初詣は欠かしたことがない。キリストさまからお釈迦様、近所の信玄さんの神社までわが国は八百万の神仏に守られてまっせ!
 


更新時間 : 11:35:23


12月27日 (木)


はる 277 
 グローバルスタンダードなんてかっこつけていうけれど、口汚くいえば「博打経済」じゃないかと思う。
 戦争に負けて本当に何もかも失った時に「夢の国」アメリカはとんでもない豊かな天国のように見えた。目指すはアメリカとこぞってしゃにむに働いた。町工場の親方から始めて世界のホンダにまでなった人がいるのだからそれはそれで立派なことだ。
 先のアメリカは大国の鷹揚さで自分の得意分野に他国が食いついてくるなんて赤字がでるまで気がつかなかった。それでもまだ借金してわが世の春を楽しんでいたのだけれど。気がついたときには国は大赤字、今の日本とよく似てる。しかしそこからの手法がわが国と大きく違う。
 もともと彼の国は「自由経済」の国。頭のいい奴は「机上の論理」でめしをくってもいいという大義がある。もともとホワイトカラーとはそういった人をいうのだろう。それはそれで正しいのだけれど。問題は「東洋の田吾作」が天下を取ったと勘違いして、大きな博打場に出てしまったことだろう。
 結果は言わずもがな、大損こいてこの様だ。だれだエンパイアステートビルを買うなんてほざいていた奴は。たった10年ほど前の話だよ。アメリカはしたたかな、怖い国だ。


更新時間 : 17:57:31


12月26日 (水)


はる 276
 真実がなんといっても一番強い。それは真実だからだ。
 だからといって私はここで真実ばかりを書いていない。かといって嘘をついている訳でもないのだけれどね。自分のことを赤裸にしゃべることが他人にとって楽しいことばかりではないと思うからだ。しかしそのことが自己を追求し「人生とか何か」「どう生きるべきか」などという真剣な問いかけをする人にはどうも食い足りない感じがするのではないかと思う。
 
 何を書きたいのか分からなくなってきたので、今日はここまでにしておきます。いずれこの続きは書きます。


更新時間 : 17:16:11


12月25日 (火)


はる 275
 地元と東京の個展を合わせてもたかだか500人程度の人しか実際に私の絵に接する機会がない。そのことは今の時代物凄く不利な手段といえるし、いってみればほとんど何の影響もない、あってもなくてもよいどうでもよい存在だとも言える。
 特に東京の画廊は銀座の端っこのビルの五階にあり、ほとんど来る人を拒んでるかのような隠れたところにある。ぶらりと街を歩いていて立ち寄るなどという洒落た軽い動機では全く接触の機会はない。
 たぶん問題は数ではないのだろうな、ということだ。同じ時間を共有し、同じ空間に身を置いた。そのことがとても大切なことなんだと思う。怒られるかもしれませんが、絵なんてそんなもんです。そうです、たかだか絵なんです。
 わざわざ貴重な時間を私のためにさいてくれてありがとうございました。もっともっと楽しく生きて、いい作品をどんどん作っていきたいと思います。今回いまひとつピンと来なかった方、待ってて下さい。必ず貴方の感覚にピッタリと来る作品がでてくる時もあるでしょう。また来年楽しみにしていてください。それではまた。


更新時間 : 20:23:32


12月24日 (月)


はる 274
 この季節は何となくワクワクとする。クリスチャンでもない我々がキリストの誕生日を祝うというのも可笑しなことなのだがねぇ。
 子供の頃、今と違ってケーキなどあまり口にできなかった。これは私の家が特に貧乏だったわけではなく、どこの家庭の事情も同じようだったと思う。そう日本全体が少なくとも今よりかなり貧乏だった。それでもクリスマスにはサンタのチョコレートの乗ったケーキを食べることを脅迫観念のように求めた。それが何となく幸せの一つのかたちのように思ったからだろうね。
 この間我々より少し上の世代の人と話をしたのだけれど、彼らの世代は「団塊の世代」といって今のこの日本を背負ってきた人たちだ。ある意味でこのケーキを日常的に腹いっぱい食いたいという願望が今のこの日本をつくって来た。それには多くのことを犠牲にして来た、彼はぽつりと言った「子供たちの教育を間違ってしまった」残念なことに自分たちの苦労を何かのかたちで伝えるということを怠ってしまったのだな。
 メリー・クリスマス いい年が来ますように!


更新時間 : 00:21:01


12月23日 (日)


はる 273
 やぁ~、戻ってまいりました。実のところ昨日の夜帰っていたのだけれど、もう疲れてしまってパソコンに向かう気力もなかったよ。
 こうやって毎年個展始めてもう13,4年になる。バブリーな日本から最近の状態まで何となくながめているけれど、この頃はちと寂しい思いをするね。というのは知っているように銀座は日本の画廊街のメッカ、あの狭い一丁目から七丁目のエリアに約300とも400ともいわれる画廊がひしめきあっている。公募展は上野、個展やグループ展は銀座と大体決まっていた。
 画廊にも大体三種類あって、一つは物故作家や世界の巨匠を商品として扱う商業画廊、二つ目は独自の企画で作家を育てようとする企画画廊(欧米の画廊は大体全てこういう画廊)、最後は我々無名の画家がスペースを借りる貸し画廊となる。画廊の力関係も大体この順番だろう。
 美術界が活性化しているかどうかは企画画廊が活発に活動しているかどうかできまる。ばーさんやじーさんが趣味で貸し画廊で個展やっても活性化しているとは言えない。
 寂しいのは歴史のあるこういった企画画廊の老舗がどんどん銀座から撤退していることだ。でその後にテナントとして入るのは世界のブランドで昔の画廊街は何時の間にかブランド街と変化してしまった。わが国はいつの間にか植民地のようだなぁ。
 日本は確実に斜陽している。



更新時間 : 18:57:14


12月21日 (金)


はる 272
 そうです、くたびれました。明日で銀座の個展も終了です。来ていただいた方どうもありがとうございました。色んな意見を聞きました。一つの絵でさえ180度違う意見があります。それを全部まともに聞いていたのじゃとても自分の絵など描けません。とりあえず気に入った意見だけ取り入れて、嫌な意見は気にしないことに決めました、あしからず。
 明日まで待ってます。まだのかた是非銀座まで足をはこんで下さいな。「百聞は一見にしかず」「見ることは一時、見ないことは一生の恥じ」待ってます。
          榎並 和春個展
     ■2001年 12/16(日)~12/22(土)
          「みみをすます」
        -銀座・ギャラリー・惣
   (東京都中央区銀座7-13-1 5F TEL 03-5565-6039)  
     詳しい地図などは個展情報にてご確認下さい。
  





更新時間 : 22:29:45


12月19日 (水)


はる 271
 久し振りの書き込みです。今東京の個展の最中です。丁度中日が無事終了したところ。少しくたびれました。ここからが勝負なのかもしれないけれど。
 国展の仲間が今六箇所で展覧会をしています。その流れでたくさんの絵を描く仲間がきてくれます。ありがたいことです。団体展に出品する是非が問われるけれど、とても私の個展だけではこれだけの人は呼べないでしょう。そういう意味ではありがたいと思います。ただそれだけではない色々な嫌なこともあるけれどねぇ。ここでは今言わないでおきましょう。
 まだ観てない人、是非来て実際の絵を見てください。後三日ですよ。
           榎並 和春個展
     ■2001年 12/16(日)~12/22(土)
          「みみをすます」
        -銀座・ギャラリー・惣
   (東京都中央区銀座7-13-1 5F TEL 03-5565-6039)  
     詳しい地図などは個展情報にてご確認下さい。
  




更新時間 : 21:35:46


12月14日 (金)


はる 270
 今日は少し事務的な話をします。
 この17日からプロバイダーさんが大きくモデルチェンジするそうです。それにあわせて色んなことが変わるそうですが、私にはほとんど何のことか分かりません。設定の変更やら自分のIDも変わるそうでめんどくさくて仕方ありませんが。
 というわけで17日の午前中は工事のためHPの閲覧が出来ないこともあるそうです。よろしくお願いします。

 それからもう一点は、この間掲示したように明日から個展のため少しの間留守にします。たぶん一度はどこかで更新したいとは思っていますが、できないとなるとこれで少しの間「ぼやき」の更新はお休みとなります。あしからず。
 もしこのページをご覧になって、興味をお持ちになったなら是非会場に足を運んで下さい。うまい珈琲を入れてお待ちしております。 私は終日会場にいる予定です。
 
          榎並 和春個展
     ■2001年 12/16(日)~12/22(土)
          「みみをすます」
        -銀座・ギャラリー・惣
   (東京都中央区銀座7-13-1 5F TEL 03-5565-6039)  
     詳しい地図などは個展情報にてご確認下さい。
  


更新時間 : 17:47:55


12月13日 (木)


はる 269
 「造形の原理」というのがある気がする。それはたとえば「黄金比」や「何とかの法則」といったものではなく、まだ誰も言葉にも形にもできないものなんだけれど、確かにあるという予感がする。
    それをたとえば「Z」と名前を付けたとしよう。
 その「Z」に近づく方法は二通りあって、一番オーソドックスな方法は頭を空っぽにして徹底的に物を描写することだ。禅の修行に「ただ座れ」というのがあるけれど、普通の人間にとって無念無想何も考えないで「ただ座る」というのは何と難しいことだろう。
 たぶんその「Zの原理」はこの世界をすべて貫いていて、多かれ少なかれ色んなところに影響をあたえている。天才とか「あちらの世界」の人は気づいているかいないかは別にして、そのことを体得している人間なのじゃないかと思う。我々のような鈍な人間はなかなかそこまで到達する事が出来ない。
 描くという行為は「作為的な行為」だ。描けば描くほど自分というものが出てきて「ムッ」とする。たとえばロシアイコンとか仏像なんかを見て感動するのは、数百年という時間が個という行為を消してしまったからだと思う。もう一つの方法はそこらへんにヒントがありそうだ。
 本物はいつもにそこにある。そういったものだ。何とかそこに近づきたいものだ。
 


更新時間 : 19:45:15


12月12日 (水)


はる 268
 というわけで内田光子のコンサートにいった。数多いピアニストの中でも知る人ぞ知るファンの多い演奏家だ。
 一時モーツァルトばかりを演奏して録音も彼の作品ばかりだったのだけれど、ここ最近はシューベルトをやったり今回は例のベートーベンの最後のソナタを演目にいれていた。
 コンサートは一年に数えるくらいしか行かないけれど、ピアノのコンサートはいった記憶がない。そういえば、昔中学生の頃ブラスバンド部に所属していたので顧問の先生が、今はもうない神戸新聞会館(震災で大きく崩れてしまった)にチェンバロのコンサートに連れて行ってくれたことがあった。なにぶん生まれて初めての本格的なコンサートでかなり緊張したのを憶えている。
 シェーンベルクの無調音階の音楽なんかも演目に入っていて、私の浅い知識では楽しめないかと思ったのだけれど、ある意味ジャズに似ていて面白いなぁと今回は思い直した。これも内田光子ファンだから楽しめたのかもしれない。
 メインはベートーベンのソナタ。これは良く知っているということもあって良かった。あくまでもベートーベンは無骨で不器用で救われない性格の持ち主で、耳までも取られてそれでも音楽にに救いを求めて「これでもか、これでもか」とやりつづけて、最後の最後にちょっとだけ光明をみることが出来た。そんな音のつらなりが心打つ。
 見当違いかもしれないけれど、感じたままをつづった。それではまた。


更新時間 : 20:27:32


12月10日 (月)


はる 267
 自分の最後の音楽に何がぴたっとくるかなぁ。いろいろ考えて以前はやっぱり「バッハだな」なんて思っていたけれど、最近は少しはまりすぎていやみかなぁとも思う。
 いつぞや美術家のドキメント番組で棟方志功が例のスタイルで版画を彫っている時、思わずベートーベンの「第九・歓喜の歌」を唄いながらシュラシュラやっているのを見て、すごく感動したのを思い出した。しかしベートーベンじゃちと重すぎる。確かに彼の生き方そのもののような、「苦悩を突き抜けて歓喜に至れ」というメッセージは感動もんでよく分かりはするけれど、今の時代少ししんどいなぁ。
 モーツアルトは天才だ。いくら努力しても誰も彼にはなれない。そういう天才の前では何を言っても無駄だ。口をあんぐりとあけてただただその見事さに酔いしれましょう。案外何も考えずさらっと美しい「クラリネット協奏曲」なんかいいかもね。是非お願いします。


更新時間 : 21:33:37


12月9日 (日)


はる 266
 今週の土曜日(15日)から個展のためここにはいません。それゆえ更新が滞ることになりますがあしからず。出先が更新のできる環境なら時々こころみるつもりですが、楽しみにしている(ほとんど身内だけの気がしますが)読者には申し訳ありません。
 コンテンポラリィアートというのは「現代の芸術」という意味だけれど、「現代美術」といえば何だか訳のわからん芸術ということになってしまう。幸か不幸か今はこうやって作家自らが情報発信している訳で、これほどたしかな情報は無いわけだ。本当は少し隠しておいた方が「芸術家」というイメージ作りのためにはいいようにも思うのだけれどね。100パーセント真実だと思われても困るのだけれど、それもこれも含めて創作だと思って読んで欲しい。
 話が違う方へ飛んでしまった。「時代を共有する」それがとても大切なポイントである気がするなぁ。同時代を共に同じ空気を吸って同じような環境で同じような事件に巻き込まれたりしている。誰も同じ人はいないのだけれど、幾時代か離れてみるとその時代特有の顔や臭いがある。アーチィストは時代の表現者であり、告発者であり預言者でもある。同じ時代を生きている作家をもう少し観て欲しいなぁと思うのだ。
 で来週の日曜から個展です。ぜひ観て下さいという話さ。
        詳しくはHPの個展情報にて。



更新時間 : 18:33:15


12月8日 (土)


はる 265
 「山羊にひかれて」という歌が30年ぐらい前に流行った。たしかカルメン・マキがあの独特のけだるいような声で唄っていた記憶がある。絵を描いていていつもどこかで唄っている歌がある。声に出して実際に唄う場合もあるけれど、音にならない音でどこか芯の部分で唄っている。そんな歌の一つだ。
 山羊という動物はどこかとぼけた味があって、年老いた東洋の哲学者風で好きだ。そういうこともあってなんとなく私の絵に山羊がモチーフとして出てくるようになった。もちろん具体的にリアルに描かれた山羊ではないのだけれど。
 ものの良し悪しは難しい。時代や民族、場所によっても色々な価値観があってとても一つの物差しでは計れない。どちらがより「美」とか「善」などというまさに究極的な選択を迫られた時、我々の先輩はどうやってその結論を出したのだろうか。
 羊は我々の祖先の人たちにとって神聖な動物だったらしい。食う寝るところに着る物全てがこの動物と大いに関係があったわけだから、納得できる。それで困った時には羊に聞いたそうだ、羊が異常な行動をとらなければそれが「善」なり「美」になったという。なるほどだからどちらの字にも「羊」がいる訳だ。
 みんな昔は「山羊にひかれて」いたわけだ。ちゃんちゃん。


更新時間 : 16:32:31


12月7日 (金)


はる 264
 もう自力では立てない、軽いアルツハイマーでもある。
 舞台の中央へ進もうとする。人に支えられてゆっくりと歩く、一歩また一歩。手や足の筋肉はもうすでに健康な動きを支えることができなくなってしまっている。
 静かに浄瑠璃の太棹と唸り声が聴こえる。とそれに反応するように手や足が上から釣られたあやつり人形のように動き出す。
 舞台中央に一客の椅子があり、自力でそれにすわろうとする。椅子を支える人、それに乗ろうとする人短い攻防がくりひろげられる。
 最後は天に向かって祈るように両手を合わせる。
 大野一雄、95歳 舞踏家



更新時間 : 17:50:03


12月6日 (木)


はる 263
 何となく暖かいなぁ。冬は寒い方が気持ちがいい、温かい冬なんて気持ちが悪い。
 90年代のまだまだ日本がバブリーだった頃、「故郷創生」だとか「再生」だとかで全国に雨後の竹の子状態に美術館や何とかホールがたくさん出来た。いま多くのそれらの建物が経営難で風前の灯火だ。
 考えてみれば当たり前のことで、何のビジョンもなくやたらと建物だけ立派な物を作って、「おらが村の文化発信基地」なんていっても最初の一二の企画だけで、それで全てお終い。いつものことながら、尊敬に値するノータリンな行政だと思う。
 アメリカの格付け会社のムーディーズが日本の国債のランクを又一つ落としてイタリアと同じにしたということが新聞の片隅にかいてあった。イタリアはたとえそうであったそしても、そんなことを百倍してもかなわない魅力があの国にはある。振り返って日本に経済力以上の魅力があるのだろうか、否ない。
 「禍福はあざなえる縄の如し」貧乏になってしまったことが案外この国をたち直らせるきっかけになるかもしれないけれど、周りの大人を見ても子供たちを見たらなおさら不安になってしまうよ。しゃきっとせんかい!



更新時間 : 19:56:57


12月5日 (水)


はる 262
 自費出版の小説の装丁を頼まれる。何年か前にも一度装丁を頼まれたことがあり、その時は何のことはない自分の絵を表紙に使っただけで私はほとんど何もしなかった。
 彼と話していて考えたことがある。オリジナルな原稿とか生原稿なんていうのは昔の話なんだなぁということ。なぜなら最近の作家はパソコン、ワープロを使って原稿を書くわけで、もちろんアナログ的にモンブランの万年筆を使って原稿を書く巨匠もいるだろうけれど、大方の傾向としてデジタル化している。懐古趣味で昔を懐かしんでも時代は止めようがない。今後ますますそういった傾向が進んでいくでしょう。
 ところでCGクリエイターなどの場合のオリジナル作品とはどれを指していうのであろうか。オリジナルは事実上この世に存在しない電脳の空間にあるわけで、出力されたものは正確にはオリジナルとはいえないわけだ。また反対にいえばパソコンの画面上にあるものはすべてオリジナルといってもいいわけでそこのところがややこしい。
 ここまできておもしろいことに気が付いた。たとえばコンピュータ上で作った色は電脳空間上がオリジナルであって、現実空間の色を写しているわけではないという事実だ。絵空事が実は真実であるという逆転現象がここでは起こっている。
 こうやって書きながらも何だかわけがわからんようになってきた。今日はここまで。


更新時間 : 20:08:05


12月4日 (火)


はる 261
 手をみれば大方の職業は推測できる。

 彼の手はごつくて,特に親指など私のかるく二倍はある。からだつきも今どきにはめずらしいほど、ずんぐりとしていて職業からくる匂いを感じさせる。顔はとてもハンサムとは言えないけれど、いつもにこにこしていて、それなりに多くのファンを持っているようだ。かくいう私もかれのファンの一人だ。
 彼との付き合いももう20年以上になる。何が縁になるかわからないのが人生、たまたま立ち寄った修理屋でスバル360を見かけたのが彼との付き合いの始まりだった。車そのものにはそれほどの興味はないのだが、なにぶん田舎ゆえ足としてずいぶんとおせわになった。
 最近ご無沙汰していたのだが車検のことで久しぶりに工場にいくと、いつもは汚れたつなぎのスタイルで迎えてくれるのだが、今回は私服で事務室にいた。そんなことは今まで一度もなかったのに。病気?でもさわやかな顔してる。ごついからだのどこにも病気の影を感じない。健康そのものだ。
 実は彼はドナーになったという。人一倍健康なからだの肝臓を半分以上を人にあげたそうだ。
 ちょっといい話。話をしていてなぜだか泣けてきた。えらい。


更新時間 : 17:45:26


12月2日 (日)


はる 260
 隣のじいさん家へ似たようなじいさんが時々遊びにくる。お互いにもう自由な身で、見た感じ飄々と生きておられるようにみえた。 何年か前に私が絵を描いている事を知って、個展にきてくれた。隣のじいさんの話によると、なんでも彼はかなり有名な書家で今でも自宅に教室を持っていて何人か教えているらしい。
 ところがここ最近を見ないなぁと思っていたら、体の具合を悪くして入院しているといううわさを聞いた。お見舞いに行くほど親しい付き合いをしているわけでもないので、気にはしていたけれど行けなかった。
 この間の文化祭に久し振りに作品(油絵)を出してきたので、「あぁ元気になられたんだ」とうれしく思って、今回の個展の案内状を出しておいたら来てくれた。足が不自由なのでバイクに乗ってきたと言ってたけど、あの年でけっこうやることは大胆だ。
 作品の話になって「ワシャあんたの絵が好きで、今回の文化祭にもあんたの絵を真似て描いたんじゃ」「絵も書も一緒じゃ、自分の生き方そのままでいいんじゃ」そんなことを言ってまたバイクに乗って帰っていった。なぜか老人にもてる。

 年を取る事はわるいことじゃない。体力や気力や知力さえも落ちてしまうかもしれない、でもそのぶん経験が増える。悲しかったことも、苦しかったことも、うれしかったことも全てが過ぎ去ったこと。やがてそれらが発酵して自分の財産になって色んな「言葉」や「場面」や「絵」に感動できる下地ができたことになる。そう考えれば年取ることも悪いことばかりじゃない。


更新時間 : 19:42:08


12月1日 (土)


はる 259
 今日は「映画の日」というわけで、午後は「ハリーポッターと賢者の石」を観にいく予定。封切りなんだけれど割引になるのかしらん。
 月が変わると何も書かれてないページが表示されることになっているのでとりあえず一言。


更新時間 : 12:19:36



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