あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

2001-8 - 2001.08.01(日記)
絵描きのぼやき

2001年8月
8月31日 (金)


はる 184 
 雨音で目が覚めた。今日は朝の散歩ができない、それをいいことに朝寝坊した。朝が出遅れると全てがルーズになる。そのことはいつも後悔の種になる。俺はなにをやってるのだ!
 小さい頃家の台所にちっさな神棚があった。細長い柄のついた器にお袋は毎日水やご飯を入れて「パンパン」と拍手を打ってなにやらお祈りをしていた。少し大きめのお社と小さめのお社があり、どう考えても新興の住宅地にはふさわしくない薄汚れた、古汚い感じがした。神様とはそんなもんだと思ってあまり意識することもなかった。
 小学校の一二年の頃だったろうか、近所の駄菓子やに友達と連れ立っていつものようにイカの酢漬けや毒々しい色のついた飴玉を買って帰ろうとした時に、不思議な間があってすーっと隣にあった一つ五円の風船ガムに手が伸びた。悪いことをしたという気もなかった。極普通にまんまとガム一つ手に入れることが出来た。思った以上に簡単に首尾よく出来たことに満足した。
 後悔は後からきた。普通ならなんの躊躇なく食べるガムがポケットから出せない。友達にいえない。小さいながらもんもんとして捨ててしまった。誰にも言えないそのことを台所の神さんに言ったら何もいってくれなかったけれど、すっきりした。神さんってそんなもんだと意識した。あ~あよかったよかった。


更新時間 : 15:38:59


8月30日 (木)


はる 183
 夏の終わりだからというわけでもないのだろうけれどなんとなく憂鬱だ。このメランコリックな気質は私の母方の遺伝子だ。若い頃この気質がわざわいしてずいぶんとつらい思いをした。今でもそう変わりはないのだけれど、これがあるから絵など描いているのだといい方に考えることにしている。というわけであまり筆が進みませんあしからず。
 


更新時間 : 18:27:37


8月29日 (水)


はる 182
 この二日久し振りにパートタイムの仕事にでる。二ヶ月ぶりの社会奉仕でやたらと疲れる。まぁこれがあるから多少とも現金収入につながるのだけれど。この事はあまり書きたくない。私はかすみを食べている。
 今日は夜から雨になった。これで一気に秋になるのかしらん。鳴く虫の音も少し変わって来たようだ。季節はめぐる。一日一日を大切に生きよう。


更新時間 : 22:40:15


8月27日 (月)


はる 181 
 ジャンクアート(こういった言葉あるのか知らない)の件でもう少し。
 少し前のことになるけれど、テクノミュージックなるものが流行って、その代表的なグループとして例の坂本龍一さんたちのYMOが注目された時があったでしょう。シンセサイザーやコンピューターを意識的に活用し出したころで、今じゃ当たり前のことになってしまったけれど、ポップスの世界ではなかなか斬新だった。(もっともジャズの世界じゃハービーハンコックなんかその10年も前にヴォイスコーダー使ってレコードだしていたけれど。)
 その技術都市のイメージとしてテクノポリスTOKIOなんてかっこつけて叫んでいた。今見ると相当こっけいなんだけれど。東京のイメージというのが案外そういったジャンクな都市のイメージにぴったりとはまる。どこがといわれると答えにくいのだけれど、何でもあってこれだというものがないとか、ゴミのような町に超メカニックな車とか、廃墟にパソコンみたいなのがぴったりと合う。
 最近の映画「AI」なんかでも、廃墟にロボットに遊園地みたいな設定だと、どうも東京の未来を暗示しているのかなぁ、と早合点してしまう。話を戻して、アジアの都市がどうしてそういったジャンクな感じがするのかといえば、色彩的にも形的にも統一感にかけるからだろうね。良くも悪くもそれはある種のエネルギーでもあるのだけれどね。混沌、混乱、混在を統一しないでそのままを是とする考え方が我々アジアの人間にはある気がするから。21世紀はアジアかなぁ。


更新時間 : 15:37:47


8月26日 (日)


はる 180 
 なんだかめんどくさいことを始めてしまった。ニューヨークのジャンクアートのことを書いてるうちに、前に書きとめてあった旅日記を思い出してゴソゴソと引っ張り出して、一人にやにやしていた。今から見るとナマな表現で恥ずかしいところもあるけれど、それなりに臨場感がある。
 気が向いた時に載せていくつもりだ。えーかげんなのであしからず。


更新時間 : 13:28:03


8月25日 (土)


はる 179
 今日、朝いつもはそんなに乱暴な運転をしないのだけれど、急いでいたということもあって、少し無茶な追い越しをした。レンジローバーのおっさんににらまれた。一日嫌な気分だ。しかし私が悪い。ごめんしてね。
 「イタリア滞在記」番外編・その2
 パリ・ドゴール空港に着く。ここからホテルのある町の中心までバスで一時間ほどだ。この季節(六月下旬)では午後八時を過ぎてもまだ空は明るい。シャトルバスのフロントグラス越しにシルエットの凱旋門が見えたとき、パリに来たんだと実感した。
 実は二十年前に一度ここに来たことがある。やたらに安い学生のパックツアーだったけれど、全てのことを昨日のことのようにおぼえている。若かった。はしゃいでた。楽しかった。でも今のこんな旅も嫌いじゃない。その時々にしか出来ないことがある。よく「青春は一回限り」なんていうけど、それをいうじゃ「人生一回限り」やでぇ。
 次の日ルーブル美術館にむかってシャンゼリゼ通りを下って行く。ルーブルまで続くポプラ並木は大きく空を切り取ったかたちでそび立つ。佐伯祐三の絵にあったとおりだ。美術館の話は何にでもかいてあるので省略。パリにはもう一度ゆっくり来よう計画して次に行くことにする。
 パリには幾つかの鉄道駅がある。私達が目指すのはパリ東駅。ドイツの「黒い森」地方を通ってフランクフルトまで行き、その後乗り換えてロマンチック街道の始点ビルツブルクまで行く。かなり複雑な乗り継ぎをするがあのトーマス・クックの時刻表を見ながらの旅はロスも多かったけれど楽しかった。



更新時間 : 15:50:53


8月24日 (金)


はる 178
 「イタリア滞在記・番外編」その1
 だいたい三ヶ月に一度のわりで国外に出る。その理由は観光ビザの場合その有効期限が三ヶ月だからだ。だからといって一度外国に出るとOKだ、というのはたぶん何かの間違いだろう。単に気休めに過ぎない。それでも私達は規則的に国外に出た。
 国外といってもヨーロッパの場合簡単にいける。海をはさんだ海外というイメージとはかなり違う。最初に選んだのは、とにかくパリに行く、その後国際列車に乗ってドイツの黒い森を見ながらロマンチック街道をバスを使って南下、ローテンブルクからオーストリアのモーツァルトの生地ザルツブルクを経てウィーンへ、その後また夜行列車に乗り換えてローマに帰って来るという予定。簡単に書いたが全て自分たちで決めていく旅は楽しいことではあったが、言葉の問題も含めて大変なことだった。
 まずパリまでの飛行機をどうするか。ローマの町を歩くと多くの旅行会社があることに気付く。私達の場合チケットは片道で言い訳で、そういった条件で格安のチケットを探す。安いにはそれなりのリスクがあるわけで、ただ安いというだけで選ぶのは大きな誤りだ。例えば週に二回しか便が無い場合、もし欠航したら全ての計画がだめになる可能性ある。また極端に朝が早かったり夜が遅い場合、ホテルを別にとる必要があるわけで、かえって高くつくことになる。いろいろ考えてクエート航空のチケットを購入、東京近郊に行くくらいの料金で済む。まずはめでたし。


更新時間 : 19:15:52


8月23日 (木)


はる 177
 田舎に住んでいると不便なことが多々ある。(いいこともいっぱいあるのだけれど)その一つにすぐに陸の孤島になってしまうことだ。どういう判断だったのか今回は本当に早く列車を止めてしまった。おいおい約束があるのだけれど、どうしてくれるんだ!
 というわけで今回は空を自力で飛んでいくことにした。歳はとってもまだまだ若い者にはまけましぇん。少々風に流されたが無事に新宿に着く。もう何ヶ月も前に予約してあったこの夏最後のイベント、そう簡単に反古にはできましぇん。
 というわけで昨日は一日東京で遊ぶ。今日はもう早めに帰るつもりだったが、両国の江戸東京博物館で「ポンペイ展」をやっていたので台風一過のくそ暑いなかを雨傘をさして観に出掛ける。おっと何だこの馬鹿でかいビルジィングは。超バブリィーな軍艦みたいな建物はどこかで見たような、そう京都の駅ビルに似てる。なんでこんなビルばかりなんだぁ。本当にでかすぎる。今は物珍しさで人も来るだろうけれど、江戸の風俗なんて一回見りゃいいのじゃないの。夏休みなのでガキの多いこと、ワシ子供嫌いじゃけん。目をつぶって歩く。
 でその「ポンペイ展」これもまたすごい人。日本人はこんなにポンペイに興味を持ってたのか?とあらためて感動する。例のフレスコもそうだけれど、その科学技術の凄いこと。上下水などもう完全に現代をしのいでいる。少し専門的になるのだけれど、紀元前数世紀のエトルリア人はもうすでに不完全ではあるけれど遠近法をマスターしている。例のポスターになっている「パン屋の夫婦」も肖像画としてこの間の警察の誘拐犯の似顔絵をはるかにしのいでいる。私が不思議に思うのは、その後この遠近法はルネサンスまで忘れ去られてしまうことだ。それはまるでポンペイの町がベスビオス火山の火山灰に埋もれしまったようにだ。千年以上だよ、不思議だ。誰かうまい説明ができはります?


更新時間 : 19:56:51


8月21日 (火)


はる 176 
 ジャンクアートというのがあるのかどうか知らない。初めてニューヨークに行った時にソーホーあたりの画廊街をぶらついてそんな言葉を聞いたような気がする。
 イタリアの田舎カピトーネ村にのんびり一年いて、その帰りに一年有効のオープンチケットだったので、欲張ってアメリカにもよるべぇ、アメリカならニューヨークだべと大きな荷物を持ってその噂の都会に着いた。一年間の旅の疲れでカーチャンは半分グロッキーで熱を出してホテルで寝込んでいた。この際だからと片っ端から画廊をみてやろうと飛び込んだはいいけれど、どれもこれもその大きさにビックラこいた。そう、例えは悪いかもしれないけれど、大きなゴミ箱をひっくり返したようなというのが一番言えてる。人を驚かせることにその全ての情熱をかけてるような気がした。関西人の発想なら「受けてなんぼ」そのためなら命も賭けるそんな気迫を感じたな。これがアートか?これも私が求めるものと違うなぁというシコリが残った。
 アメリカンアートなるアートがあるのかどうか知らない。でも考えてみると「アメリカ」的なものはそこら中にある。マクドナルドもディズニーランドもジィーンズもラップ音楽も。誤解を恐れずにいえば、何時の間にか知らず知らずに我々はアメリカンになっていたのではないか。ちょっと考えてほしい、思い当たるふしがあるだろう。そう我々の中に星条旗がかっこよくて、日の丸がかっこ悪いなんて罰当たりな雰囲気あるだろぅ。なんだかなぁうまい具合に洗脳されていたんだなぁなんて思う。ちょっと話がずれたけど。
 ヨーロッパにもジャンクアート的なものがある。イタリアにはアルテ・ポーベラといって直訳すれば「貧乏な芸術」と言う意味だけど、スペインのタピエスなんかもそういったグループに入る。だけど、アメリカのジャンクアートとどこか違うなぁ。考えてみると立体派のブラックのコラージュやピカソの彫刻もそんなところがあるね。どこか、うんそうだ「品格」があるのだ。そうじゃないかぇ、みなの衆。
 


更新時間 : 15:33:24


8月20日 (月)


はる 175 
 朝夕はだいぶ涼しくなってきましたねぇ。朝散歩してると草むらから秋の虫がギィーコギィーコ鳴くのがきこえて来ます。そこはかとなく寂しさを感じます。



更新時間 : 18:31:31


8月19日 (日)


はる 174
 昨日は午後から地域の文化活動のボランティア。なんとも手前の頭の蝿も追えないのに人様の分まで追ってる感じだが、少しは役にたつのだろうか?建前は「ひとの役にたつこと」なんていってるけれど、元来は唯我独尊タイプ、そんなことでけっこう疲れてしまった。
 そういえばこの間学校生活でこれだというものを教わったおぼええが無いなんて書いたけれど、高校生の時ある先生に「人生とはこれだというものがあれば教えて下さい」と聞いたことがある。まぁ当時のキャラクターがとてもそんなことを聞くタイプじゃなかったということもあって、「そんなもんあったら、ワシも教えてほしいわ!」と冗談ぽく返ってきたのだけれど。今でもはっきりおぼえていることを考えると、けっこうまじめに考えて質問したのだと思う。
 まぁあれから30年以上経ったけれど、あらためて自分に同じ質問してもうまくは答えられないね。ひとそれぞれだから。それを見つけていくのが人生だともいえるからね。分かったような分からんような、安易な答えだけど。
 
 


更新時間 : 13:51:19


8月17日 (金)


はる 173
 めっきり体力が落ちたような気がする。もともと基礎体力はなかったのだけれど。この暑さのなかちょっと動いただけで疲れるのぅ。まぁこれから体力は落ちることはあってもつくことはないだろう。だましだましというのか、ぼちぼちというのかゆっくりやってゆくしかないだろう。それが歳をとったということだ。
 頭の仕組みが幼稚なんだろうか。子供の頃あまり本を読まなかったという弊害なんだろうか。こうやって文章を書く時にかっこいい言葉がみつからない。格調の高い文章をみると俺もそんな文章を書きたいとおもうのだけれど、なにぶん入っている「ことば」に「ひらがな」しかない。
 「しゃべりことば」と「書き言葉」があると思うのだけれど、我々のように文章の修行を積んでないものは「書き言葉」が書けない。思ったままを文章にしてしまうので、歳をとってもそこらへんのお子様と同じような文章しか書けない。ケイタイとかメールの流行がこの「しゃべりことば」の流布に拍車をかけるだろう。我ながらなさけないと思うが今更変えられない。
 絵も同じだ。できるだけ分かりやすく、ていねいに、自分の言葉でなんて考えると段々と子供の絵のようになってくる。理想とするのは子供から大人まで誰が観てもそれなりに楽しめる絵だけれど、絵はなかなか思ったことが伝わらない。むつかしい。


更新時間 : 17:32:20


8月16日 (木)


はる 172
 昨日、今日、明日と三連ちゃんで午前中が私事でつぶれる。普通のサラリーマンならとっくにくびかもしれないなぁ。長い夏休みでこの二ヶ月ほど全く働いていない。こんなんでやっていけるのだから日本は豊かだということだろう。(私は仙人か!)
 話はまったく変わる。この間、藤原新也のホームページを読んでいたらおもろいことが書かれていた。ファーストフード店にしてもコンビニにしても最近の航空会社のスチワーデスなんかにしても、お客さんに対してマニュアル通りに対応する教育が行き届いていて、見ていると非常に違和感があると。年端もいかないようなクソガキに「何になさいますか?」などと敬語を使ってありゃなんだと。確かにそうだわなぁ。「お客様は神様です」的な考え方がそういった態度をうむのだけれど、金を払うのはその親でガキではないわけだからね。大事にするのはいいけれど何か本末転倒、何かへんてこりんなねじまがったガキばかりが出来上がると。前からあのマニュアル対応は妙だとおもっとったけれど、どないおもう?


更新時間 : 21:37:54


8月15日 (水)


はる 171
 今日の新聞に梅原猛のエッセイが載っていたね。「永遠の宿題」という題で「人間にとって死とはなにか」ということだったけれど。「そんな辛気臭いもん読まん」てまぁそう言わんとちょっとだけ付き合ってや。
 若い頃は無心論者で「永遠の命」なんてあるわけない、世の中すべての宗教は「死後の世界」なんていって大衆をだまくらかして布教している、まったくけしからんそんなもんあるわけない。と憤慨していた彼だったけれど。戦後あることに気がついた、確かに死後の世界はないかもしれないが、そう思うことで人類は壮大な文化を創造して来た。そう考えることで色々なことが好意的にみれるようになったと。
 前にも書いたけれど人の究極的な欲は「不老不死」、それがかなわぬものならば自分の遺伝子をできるだけ多く残したい。というものだろう。これは生物として当然なことだわなぁ。ただ人間はいらぬ知恵を持ったがために単純に遺伝子の意志だけに従うわけにはいかなくなってしまったのだけれど。考え方によれば科学の進歩で肉体的には有限の命だけれど、遺伝子レベルでいえば「永遠の命」はありうるのだなぁ。とそんなことが書かれていた。
 まぁそこから少し話はとぶのだけれど、私達が小学校から中学校を経て高校までの学校教育を考えてみて、学校で教わったことはこれだ!というものが思いつかない。そんなものは教えていないのかもしれないが、意識的に抜かれていたのではないかと思う。今さかんに「自分探し」なんてそれを大々的な学校教育の柱にしょうとしているけれど、ちょっと違うなぁと思う。ここで前に話したピーコさんの話になるのだけれど、結局自分の出来ることで「人に何がして上げられるか」そこのところだと思う。そこのところの「こころ」を伝えなくて人は人にはならない。
 梅原さんの話もそんなことのように解釈した。むつかしおます!


更新時間 : 13:53:32


8月14日 (火)


はる 170
 明治維新の時日本がめざしたのは「和魂洋才」「富国強兵」で、今まで300年間眠っている間に遅れた、単純な機械技術的な合理主義をうたっているものだった。その結果あれよあれよという間に表面的には西欧に追いついてしまった。それは大衆の犠牲の上に成り立ったかりそめの繁栄だったけれど、それなりに自信を持つことになった。
 自信を持った指導者たちは今度は「和魂」の前に「大」をつけて「大和魂無才」(やまとだましいとさいなし)で誰の批判もうけず唯我独尊的に世界を敵にまわし戦争へと突き進んでいった。最初はそれなりに成果をあげていったのだけれど、所詮底力のない貧乏人のつらさ、やがて世界から総すかんをくって孤立してしまった。今のどこかの国とよく似ている。ボコボコにされてピカドンで一件落着そこから涙ぐましい努力が始まる。
 戦後全てがひっくり返った。今まで良いとされていたものがダメの代名詞となった。「鬼畜米英」が「米国万歳」になったのだから、これほどの価値の変換は普通一人の人間の中ではありえないのだが。まだ推論でしかないのだが今の子供たちの反逆の原因は実はここにあるのではないかと思う。戦後ベビーブームのその子供、戦前の親からすればその孫ということになる。これほどの価値の崩壊があって何も起こらない方がおかしいのだ。それはさておいて戦後の親父さんたちがめざいたのは「無魂商才」。兎に角、魂なんてどこかへ置いて、猛烈に働いた。がんがん働いて疲労困ぱいそれでも会社が大事、世界のお金が東京に集まった。悲しいことにこれも幻だった。あっというまにバブリーな夢はしぼんでしまった。いったい我々は何処へいくのか。
 これからは何を標語にすればいいのかまだ考えつかない。いいのがあれば教えてください。「和魂和才」我々はこのアジアの片隅で生まれてここで生きて行くしかない。そうやって考えると日本人であることに誇りと限りない愛着を感じるのだ。


更新時間 : 20:03:27


8月13日 (月)


はる 169
 今日は朝から久し振りにアトリエに入る。といってもアトリエは家の中央にあって交通の要にある。よって風呂に行くにも、トイレに行くにもそこを通るわけで正確には、絵を描く為にアトリエに入ったというべきだ。だれもそんなこと気にしてはいないか。ある作家の話で、仕事するのが嫌で「アトリエには後ろ向きに入る」なんてことをまことしやかに聞かされた憶えがあるけれど、あんがい当人のことだったりするのじゃないのかなぁ。今ならわかる。
 「芸事は毎日やらなきゃだめだ」とよくいわれる。三味線や踊りじゃないから、正確には違うかもしれないけれど共通していることも多い。本人は気付かないのだけれど、一度習得した技術はい一生落ちないと思ってる。とんでもない話でギターでもなんでも楽器をやったことがある人ならすぐ分かると思うけれど、すぐに忘れて弾けなくなってしまう。これは悲しいほど事実だ。
 絵の場合みるみる腕が落ちるなんてことはない。だから勘違いしやすい。これは意識の問題だろう。三日絵のことから離れると、問題意識が薄れる。描いてる時はいつもそれなりの問題意識をもっている。些細なことかもしれない、言葉では言い表せないことも多い。それがどうでもよくなってしまう。問題意識を元の状態までもっていくのに三日かかる。このことはほんまでっせ。よぅきーつけとらんとえらいことになりまっせ。ほなおきばりやす。はるさんの「絵描き処世術」でした、ほんじゃ今日はここまで。


更新時間 : 17:46:58


8月12日 (日)


はる 168
 「友遠方より来る、また楽しからずや」というわけで、昨日は夜遅くまで話し込んでしまった。内容は時事刻々バライティーに富んだ物だが、どうも悲観的な事柄が多く、中年おじさん明るい未来の夢を語るというふうにはならなかった。当たり前だけどね。季節がら例の日米韓の中高生の考え方のアンケートの話になることがあり、日本の将来に暗たんたる思いになった。日ごろ思ったり感じたりしている結果がそのままアンケート結果となっていて、「あ~ぁやっぱりそうなんだ」と裏打ちされた思いがした。アンケートがそのまま正確に情報を伝えているとは思わないけれど、ある程度の傾向はつかめると思う。はっきりいって日本の中高生から、若者らしい夢とか希望なんて言葉は「シャラクサイ」「カッコワリィ~」「ダサァ~」いことなんだなぁ。ほんまか?照れくさいよってハッタリかましてるのとちゃうか?正直にゆうてみぃ。 


更新時間 : 18:44:02


8月10日 (金)


はる 167
 今日も何だかバタバタといそがしかった。一週間留守にしていたのでその間留守電の山。いつもはそうでもないのにこんな時だけ、狙ったように私あての用事があるようだ。誰かがどこかで覗いているのではなかろうか?
 さて少しは本腰入れて絵を描き始めなくては。秋の個展に間に合わないね。それでは今日はこれまで。


更新時間 : 23:28:03


8月9日 (木)


はる 166
 とにかく帰って来ました。京都に一日寄って、墓参りの他ほとんど外出することもなく毎日ゴロゴロとしておりました。
 京都では今流行りの北野天満宮(天神さん)に参って来ました。関西を離れてもう20年以上になるけれど、今回始めて気付いたこと。関東と関西ではセミの鳴き方が違う。誰かこのことに気付いているのだろうか?セミの種類が違うのだろうか。今回天神さんの境内で久し振りに子供の頃のうるさいくらいのせみ時雨を聞いた。なつかしい。またうれしい事に境内に入ったとたんに「ゴロゴロ」と天神さんのお迎えがあった。単に偶然なんだろうか。それからここと縁のある清明神社、日本庭園の美しい桂離宮。京都の町はなかなか面白い。遠く離れてみてその面白さや奥深さがなつかしく思えてくる。反対にそこに住んでいる人たちはそれに気付いているのだろうか。町はどんどん壊れている。寂しいなぁ。
 それではまた明日。
 


更新時間 : 22:35:29


8月1日 (水)


はる 165(163の2)
 昭和30年代の都会といっても街中は別にして、私達の住んでいた垂水は神戸の西の端の方で、まだ田んぼや畑がぽつぽつと残っていて、田舎の雰囲気があった。もちろん道路は国道はべつにして全く舗装などされていなかった。そのデコボコ道を「ロバのパン屋」がサーカス小屋のようなハイカラな馬車をひいて売り歩いていたのを憶えている。(ロバノパンヤダチンカラホイ)・・・こんな歌だったかなぁ。
 この間テレビで向田邦子の世界をやっていたけれど、日常の生活は彼女の描く風景そのものだ。透明なガラス窓、黒い板塀、裸電球にラジオの音。それなりに幸せな毎日だったような気がする。今考えると隣の隣には中国人の家族が住んでいたし、前の大きな家はクリスチャンで子供たちを集めて日曜学校をやっていたなど、そこそこ神戸らしいところもあったんだなぁ。
 その家の居間には信じられないくらいフカフカのカーペットが敷いてあり、暖炉があって冬にはその中でガスストーブが赤々と燃えていた。信仰心などなかったけれど、美しいクリスマスカードとお菓子が欲しくてよくでかけた。あれはたぶんラファエロの聖母子像だと思う。他人から物を貰うことに母親はあまりいい感じを持っていなかったようだ。そんなことでだんだんと行かなくなってしまったのだが、自分のなかで西欧に対する憧れがめばえた。
 初めてクリスマスのミサを町の教会でやるという時、今考えると小さい町の教会だったのだろうけれど、小学校に上がる前の子供にとって初めて異教の文化に触れた驚きは、今でも忘れない大きなカルチャーショックだった。宗教の布教活動にとってこのショックがたぶん物凄く有効なんだろうけれど、自分はとんでもない所にきてしまったと思った。たぶんテレビもラジオもなかった時代の人はもっと大きなショックをうけただろう。(そのうちにつづきを書くつもり)
 さて明日から一週間ほど留守にします。それ故この「絵描きのぼやき」も更新されません。あしからず。
 それから下記で展覧会やってます。よかったらのぞいて観て下さい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 *神戸・ギャラリー島田でのミニアチュール神戸展が下記の要領で行われます。私は8/8に会場に行く予定です。
   期日・8/8(水)~8/19(日)
   時 ・11:00~19:00
   場所・ギャラリー島田
      神戸市中央区山本通2-4-24リランズゲートB-1
   電話・078-262-8058
   HP・http://www.gallery-shimada.com/


 




更新時間 : 14:13:34



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画家・榎並和春です。HPはあそびべのHARU・ここだけの美術館

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