あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

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2001-4 - 2001.04.01(日記)
  はる100    2001/Apr/30(Mon)

   一応この日記らしきものも100回になった。

 最初の動機は、正直いってカウントをいかにすれば伸ばせるかということから考えた。ホームページを開設したものの面白いと思ったのは最初のうちだけで、動かないテレビを観ているようで何も面白くなくなった。作者の私が面白くないのだから他人はもっと面白くないだろう。かといってコンピュータがあつかえるわけでもないし、それだけに長い時間関わりたくもない。私が関われるのはこの掲示板ぐらいなので、ここにメッセージを書き込めば多少なりとも興味を持って見てもらえるかな、と思って始めた。

 とりあえず百回を目安に考えてここまでやってきたけれどどうなんだろうか、大して効果があったとも思えないなぁ。一部にうれしい読者がいるようだけれどそれが唯一のなぐさめだ。まぁ習慣になってきたことは事実で、そのことは悪いことではないからね。とりあえず今度は二百回を目安に続けてみるかな、あまりかたひじ張らず自然体でね。


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  はる99    2001/Apr/28(Sat)

   小泉さんが首相になった。ずっと前から思っていたことだけれど、政治家に求められるのはもちろん理念や理想や哲学なんだろうけれど、学者や宗教家と違うのは、その考えなどを自分の言葉でしゃべり、人を納得させる技術をもっていることだと思う。どうも勘違いしているのは、討論といえば相手より大きな声をだして打ち負かしてしまうことのみを考えているふしがある。だから討論にならずに汚らしい口喧嘩になってしまう。見ていて非常に不愉快だ。

 アル・パチーノの「セント オブ ウーマン」?(タイトルは定かではない)を観たときに感じたことは、アメリカ映画といえばドンドンパチパチのエンターテイメントだけのようなきがするけれど、この映画のクライマックスは彼の演説だった。演説だけで人を泣かせる、こんな映画は日本じゃつくれないなぁと思った。
 いい演説を聞きたい、人を納得させる美しい演説を聞きたい。そういう意味で小泉さんの所信表明演説に期待している。


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  はる98    2001/Apr/26(Thu)

   「情けは人の為ならず」という諺を、(やたらに人に情けをかけるもんじゃないよ、情けに甘えてろくな人間にならないよ)という教訓をいってるものだとずっと思っていた。本来の意味は(情けは人のためにかけるものでなく、巡り巡って自分に返ってくる来るものだよ)ということらしい。

 人の為にというとかっこ良すぎて取っつきにくいけれど、結局は自分にもどって来るという話さ。  強制されてやることや与えられた事や物にはすぐに飽きがきたり、満足が得られなくて不満が残るけれど、反対に自分が与えたり考えたりする立場になれば同じものでも考えられないくらいの満足が得られたりする。百円で百円の物を買ってもそれ以上の満足はえられないし、すぐに忘れてしまう。しかしそれを何かに寄付したり、人のために使うことでそれ以上の満足を得られるし、そのことは忘れない。それも結局「情けは人の為ならず」ということだな。わかってはいるけどなかなかできないけれどね。


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  はる97    2001/Apr/25(Wed)

   音楽なんか特にそんな感じがするのだけれど、聴くとか鑑賞するという受動的な接し方は趣味としていまいちという気がする。どんなにへたくそでも人迷惑でも自分で歌うとか、演奏するという接し方のほうが趣味としてまっとうな在り方だと思うし、本当の面白さ醍醐味はそういった積極的な接し方からしか生まれてこないだろう。

 自分のやりたいことだけやるとか、他人に迷惑をかけないからいいじゃないか、とよくいうけれど、本当の人生の面白さや醍醐味はもう一歩踏み込んで、人のためにとか(ちょっとかっこ良すぎるけれど)自分の事以外のためにといったところからでてくるのじゃないかなぁ。今日は時間がないので見直ししないでこのままアップする。あしからず。


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  はる96     2001/Apr/24(Tue)

   この土曜日渋谷のBunnkamuraのギャラリーでイタリアの作家マンチーノ展を観た。日本ではもちろん地元イタリアでもほとんど無名の作家のようだけれど、久しぶりによかったなぁ。カタログも写真もないのがとても残念だ。銀座に行けば星の数ほど個展はやられているけれど、なかなかこれはいいなぁと思う作品に出会ったことはない。

 日本人はどうしても、細かい、綺麗、手がかかっている、というものに価値を見つけがちだ。それはそれで一つの価値観なんだけれど、それだけになってしまうと大事なものを見過ごしてしまう。専門の美術教育を受けた者よりも独学で自分の表現方法を見いだした者の方が素直に心打つのは事実だ。マンチーノには子供のような、また例のアールブリット(精神障害者の表現)に近いようなストレートなものを感じる。あっちの世界とこっちの世界を自由に行き来できる精神を持っている本物のアーチストだと思う。


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  はる95 訂正     2001/Apr/22(Sun)

   やっぱり曲名が違っていた。バッハの「ゴールドベルク変奏曲」奏者はグエン・グールドでした。
  はる95         2001/Apr/21(Sat)

   映画「ハンニバル」を観る。感動とか共感するといった映画ではないけれど、なかなか面白かった。通奏低音のようにバッハの「平均律」(曲名は違うかもしれんよ)が使われていて、これがうまい具合にインテリ猟奇殺人者ハンニバルの雰囲気をだしていた。こんなふうに使われるんだと妙に納得した。それから舞台がイタリアなのもどうやら評価が甘くなった理由だろう。イタリア行きたいなぁ。


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  はる94    2001/Apr/20(Fri)

  「老人力」とか「貧乏力」-某美術雑誌の二ヶ月ほど前のサブテーマだったーとか力にも色々あるけれど、「神通力」なんて力もある。

 今から4000年前に中国で甲骨文字が始めて使われだした。これがなかなか興味深い。詳しいことは書かないけれど、亀の甲羅に書かれた絵のようなこれらの文字は、西洋の文字の起源であるクサビ型文字と同様に多くのアーチストにインスピレーションを与えた。ここで特に興味深いのは文字の発明が物事の事実などを記録するために考え出されたのではないということだ。

 漢字の起源である象形文字の成り立ちをみると、多くの場合神との交感の道具として、またそこから発展して出来た漢字の多いことに驚く。なんらかの占い、祈りの道具として考えられたのだろう。書画一致なんて古くからいうけれど、違う意味で文字も絵も結局は「神通力」をめざしていたんだね。


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  はる93     2001/Apr/19(Thu)

   四月は毎年ばたばたと忙しい。国展の出品があるということもあるけれど、それ以外に日銭稼ぎの毎年の更新やら、納税の申告やら、健康診断なんかもある。なんだかんだやっているとすぐに一日が終わってしまう。多くの人はそれ以外に自分の仕事もやっているわけで、夕暮れ時になると「俺は一日何をやっていたんだろう」と反省しきりだ。もう少し仕事するように自分を追い込んでゆかねばこのままで終わってしまうだろう。せめてあともう一箇所で個展できるように努力しょう。どこか自分の知らない土地でやってみたいな。今日は反省多し。


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  はる92     2001/Apr/17(Tue)

   ブラックホールは普通の望遠鏡では見えない。なぜなら自ら光りもしないし、もちろん音などでない。(出てるかもしれないが、聞こえない)嘘みたいな話だけど、自分が重くなりすぎて自らの重力でさらに収縮して光りさえその引力から抜けきれなくなってしまったという。

 アインシュタインはそのブラックホールの存在を予言していた。実際にその存在が確認されたのは随分後のことで、偶然見えないはずの星が見えたとか、見えなかったとかかららしい。

 自分のことを声高に説明するのは、自己宣伝のようで潔しとしない、自己表現はできるかぎりしないでじっとおしだまっているのが得策だと思っている。またそんな子供たちを良しとして戦後育ててきた。子供たちの前にいるとまるでブラックホールだ。西欧人が日本人を指して不気味だというのもそこら辺からきているのだろうな。もう一度「つづり方」から始める必要がある気がするね。


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  はる91    2001/Apr/15(Sun)

   昨夜は突然春雷が轟き、それを合図に雨と風もでてきて春の嵐の様子。その後急に寒くなって夜更けには星もでていた。今日は朝から快晴、雲ひとつない真っ青な空だ。気分が良いので今日は前から気になっていた屋根のペンキ塗りをする。

 どうも私はお天気に左右され易い性格らしい。(それを「お天気屋」というのか?)日本人は日常のあいさつでも「いい日よりですね」とか「お寒うございます」とか「うっとしいですね」とか、かなり天候、気候に関するあいさつが多い。それだけ四季の変化が大きく、そこに住む人間も気候や天候に左右され易い風俗、習慣を持っているということだろう。

 調べたこともないが、砂漠の民には民の風土に根ざした気候の挨拶があるだろう。世界の挨拶と気候の関係を調べても面白いだろうなぁ。もうだれかがやっているのだろうけれど、たぶんそれは宗教や生きる哲学にも関係してくるのだろう。その話は次の機会に。まとまりのない文章だけど、おしまい。


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  はる90    2001/Apr/13(Fri)

   昨日は国展の搬入受付の手伝いで一日都美館の地下にいた。上野に9:30集合ということで、久し振りに早起きして、朝一番の特急にとび乗る。前日に予約を取ってあるので、並ぶ事もなくいたって順調に新宿まで着いた。しかしもうすでに多くの人がシャキシャキ活動しているのを見ると、あたり前だけど日ごろの自分のぐうたらな生活にガツンと一発拳骨をくれた。

 地下三階には、国展の他に春陽会や東光会などの会期を同じくする団体展が同じように受け付けをやっている。上野は団体展のメッカだけれど、ものすごい量の絵が運ばれてきては審査され、入落が選別されまた搬出されて行く。一点一点は一人の作家がそれこそ寝食を忘れて、根性こめて描くのだろうけれど、あれだけの量があれば誰も真剣に見れないだろうなぁとなさけなく思う。また反対にあの中から一人目立つことは大変なことだとも思う。

 若い時は無謀にも果敢にチャレンジしたけれど、そろそろこういったコンクールも卒業かなとも思う。傷ついても傷ついても復活できる根性と体力を必要とするからだ。仕事が終わって地上にでると、上野公園の新緑が美しかった。


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  はる89     2001/Apr/10(Tue)

   まったく個人的なことだが、今日は私の誕生日だ。四十代も今年で終わりだ。年を食うことは全然嫌じゃない、まったくやせ我慢でもなんでもなく、かえって誇らしいくらいだ。十代より二十代、二十代より三十代と段々に楽になる。やることが見えて来るというのか、迷いがなくなるというのか。よくも悪くも方向が定まるということかなぁ。そればかりじゃないけどね。私は自分がどんな年寄りになるのかとても楽しみにしていいる。根性の悪いクソジジイになるのだろうなぁ。


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  はる88     2001/Apr/9(Mon)

   もうすぐ国画展の搬入だ。毎年この時期に大作を何点か描いて、団体展に発表し始めて、かれこれ20年以上になる。途中、他の会に寄り道をしたり、もう団体展に出品せずコンクールと個展だけにしょうと思ったこともあったけてど、色々な理由で今の会に落ち着いた。

 今でも絵描きは個展をやってなんぼやと思っている。理想は個展だけで人が呼べる作家になることだろう。でもそれはむつかしなぁ。天才型で一生を短時間で駆け抜ける才能と運があれば、団体展なんて必要ない。されど多くの凡才はそれでも絵を描いて生きていかねばならない。動機はなんであれ、たとえ展覧会のためだけの絵であっても、描かないよりいいかなぁと思う。

 日本最高齢の現役指揮者大阪フィルの朝比奈隆さんが、指揮者になるにあたってこんなふうに考えた。「人よりうまく棒振ることは出来んけれど、人より一日でも長く棒振ることならできる」と。またこんなふうにも言っている「芸事は理屈ではなく、経験だ」。先人のいいことだけを取るならば、もうここまできたならば、一日でも長く筆を持って、できるだけ遠くまで行く。そのための動機付けになるなら団体展でも個展でも何でも利用させてもらおうと思う。さて最後の仕上げだ。


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  はる87    2001/Apr/6(Fri)

   ケイタイは20世紀の発明のなかでもベスト10に入るのじゃないかと思う。もちろんその裏にはICを基本のしたコンピュータの爆発的な進歩というのがあるのだけれど。

 考えてみればほんのちょっと前のテレビのドラマの中で使われていた、コードレスの電話でさえ古臭く感じるもの。子供の頃のあこがれの超能力は、一番は未来の予知能力、次が透視能力(まんがの付録に付いていたSPカードでよく練習したおぼえばある)、次がテレパシー(自分の思っていることを,遠く離れた友達に何の道具も使わず,念じるだけで伝える能力)だ。あとテレポートとか、今から考えるとバカみたいだけれど、まじめに真剣に自分にはその能力がないことをくやんだものだ。

 もしそれがかなわない願いならば、せめて自分専用の電話が欲しいと思った。それが今、現実に可能だから怖い。そこらへんにいる誰でもが、テレパシーを持っているのと同じだからね。ちなみに私はケイタイを持っていない。


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  はる86     2001/Apr/5(Thu)

   今日で一先ず一区切りだ。何が?それはないしょ。そのうちお話してあげるから、今はそっとして置いて。とにかく生きてりゃいいさ、ね。


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  はる85    2001/Apr/4(Wed)

   桜が満開だ。昔から桜のシーズンが好きで、近場だけれど色々と出かけた。桜は咲き始めの、うっすらと梢の先がピンク色になって、今か今かと待っている時から、パッといっせいに咲いて、薄い桃色の雲のようにたなびいてる状態を経て、最高なのは、はらはらと花吹雪となって散って行く姿まで、全てが絵か芝居を観るようで、言葉にできないほど美しい。

 桜の下には死体が埋められている、といったのは有名な話だけれど、私のような人間でさえ、あれほど妖艶で神秘的でどこかなまめかしいのには、人には言えない訳があると勘ぐりたくなる。どこかのバカが学校の入学式を,欧米に習って9月にしょうと言う話があったが、日本は春の桜から始めてもいいの。こんなにウキウキする木の芽時の春だからね。


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  はる84     2001/Apr/2(Mon)

   モズが獲物を木の枝に刺して,自分のコレクションを増やしていくという性癖があるのをご存知か?まさかモズが趣味で収集しているとは思えないけれど、多かれ少なかれ人にも収集癖がある。

 それはある種大昔からの動物の遺伝子がさせるものだろうけれど。子供のお菓子の付録のオモチャにしろ、いいおっさんの骨董趣味にしても、元をただせば同じ根からでている気がする。子供の頃、切手の収集が流行った。当時のことだからたいした切手は集められなかったけれど、新しい切手の発売日には郵便局にいそいそ出かけたおぼえがある。

 切手はある程度たまってくるとストックブック(収集したものをきれいに並べて見せるノートブック)に整理して、同じ趣味の子供どうしで見せ合ったり、交換したりする。このストックブックが買えなかった。人から借りて全く同じようなものを作ることにした。まず厚紙をその大きさに切る、次に自分のコレクションの中から綺麗な布をそれに貼り付ける。とその工程が今の私の仕事とピッタリと重なってくる、結局人の一生は大きなラセンを描いて段々に登って行く気がするのだが、どうだろう。


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  はる83     2001/Apr/1(Sun)

   もう20年も前になるのか。当時今世紀の作家としてたぶん残るだろうといわれていたのが、ビンダーリッヒ、フランシス・ベーコン、バルチュスだった

 学生だった私はまだ近代絵画の入り口あたりでうろついていて,後期印象派のセザンヌから始めてやっとピカソやブラックの立体派の理論が理解できるくらいだった。よく言われるのが胎児は母親のお腹の中で、有史以来の生物の進化の工程を約十ヶ月に縮めてみせるという。その考え方でいうなら、一人の画家の誕生も人類の有史以来の美術史を繰り返すのだろう。まだ近代絵画の入り口いた私にとってベーコンの絵はただただ気持ちの悪い絵でしかなかった。(今でもそんなに好きな絵ではないけれど、すごいなぁというのはわかる)

 ただ最近思うことは、そうやってオーソドックスに美術史を踏まえて登場してくる作家よりも、本当に時代を動かす作家はどこか突然変異的に現れて度肝を抜くようなことをやらかす奴じゃないかと思ったりする。例えばアフリカとかインドとか中国とかで、小ざかしい文化国家をあざ笑うかのように人類のルーツから問い掛ける。案外そんなところからやってくるような気がする。


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