あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

うら - 2018.05.17(写真)
阪急bt
はる 6224
 いつまでもこんな時間が続いてゆくものだと勘違いしている。時間は有限なんだな。それは頭のどこかではわかってはいるのだが、いつもはまるで忘れてしまっている。健康もそうだな、元気でいる時はほとんど体の事など考えていない、熱が出たりどこか不調になって初めてあぁ健康というのは有難い事なんだと理解する。

 今が一番いいかな。こんな時間は長くは続かないような気がするな。どうなんだろう。



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阪急リーフレット - 2018.05.16(写真)

はる 6223
 5/7からのカウントが間違えていましたね。このカウントが正解です。ブログのカウントは面倒なので変更しません。あしからず。

 定時制の生徒をみていますが、ここ十年ほどで随分と生徒の質が変わりましたね。昔はけっこうごんたくれが多くて授業をまともにするのがしんどいなぁと思ったことも有ったのですが、最近の生徒はどちらかといえば不登校気味の生徒が多くて随分と大人しくなった。まぁ授業は真面目にやってくれるので楽にはなったけれど、そうなるとなんとなく物足りなく感じるな。一クラスが七人くらいなので、むらの分校のような感じ。


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始まりました。 - 2018.04.25(写真)

はる 6201
 山口画廊個展始まりました。私はこの29.30日に在廊します。よかったらお出かけください。

 昨日の話の続きだけれど、前にもどこかで書いた覚えがあるけれど「絵描き」という仕事は無くならない、人々の心の中に「画家」という仕事がある限り。そんなふうに書いた。その意味するところは、多くの人の心の中に画家や作家や音楽家など方外の人に対する憧れというのだろうか、どこかそんな人がいて欲しい、あってもいい、迷惑をかけられない範囲なら許容できるという暗黙の了解のようなものがある。なかなか言葉には出来ないのだけれど、例えばふうてんの寅さんなどその典型じゃないかな。

 それに甘えるわけではないけれど、絵描きなどという仕事はまともな商売ではない。夢を売るなどというとすごく聞こえはいいのだけれど、何かすぐに役に立つ、有益なものを売るわけではない。どうにか少しばかり役に立つのはデザインとか例えば漫画とかイラストみたいなものだろうけれど、本来の絵描きの仕事はそんなところにはないわけだ。役に立たないものをそれらしい理屈をつけて売るわけだから、詐欺に近いかもしれん。

 けれども、善良な社会というものはそういった方外の人を良しとしているんだな。大道芸人やサーカスやそれこそジプシーなどまともな社会人ではないわけだ。なんだろうある種の息抜きみたいなものだろうか。きっちり計画的に決まりきった物でないものに憧れるみたいな。

 でまぁそういう人たちに期待されているのは飛び抜けた技巧をもった音楽家とか技術みたいなこともあるけれど、もう一つはそういった生き方そのもののような気がするんだな。

 もう眠いので続きはまただな。明日からまた東京です。すんません。




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つかれた。 - 2018.04.11(写真)

はる 6187
 今日は今年度初授業つかれた。 66歳と16歳の対決。孫と爺さんか。


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公園の桜 - 2018.03.30(写真)

はる 6175
 どうだ桜が満開だ。いつもは縮小かけるけれどこのままで行こう。いつもは年寄りのゲートボールグランドでしかないこの公園もこの時期だけ素晴らしい桜のステージになる。いつの間にかジャングルジムやブランコが取り外されてしまったけれど、滑り台だけがぽつりとある、だからよけいにうら寂しい。子供が遊んでいるところを見っかけたことがない。

 関係なく桜は毎年咲く。

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はる 6170 - 2018.03.25(写真)

はる 6170
  普通に暮らしていればあまり文句はないし、集団で何か訴えて自分たちの意思を発表しようということはしない。だからと言って全く不満がない訳ではないけどね。まぁそこは大人だからそこそこ納得してしまう。それが標準的な日本人だわな。

 それをいいことに何かよからぬこと、例えば何かしら自分たちの権利だけを手前勝手に捻じ曲げて自分たちを優遇しようとか、既得権を是が非でも守りたい新しく入ってくる奴らを阻止したいなどなどを考えている輩は、兎に角少し集まって徒党を組めば自分たちの意見を通すことが出来るということことを知っている。か教えられる。

 今の政治は半分の人しか参加していない。自由とは獲得するものだ、放って置けば侵されてしまうとは教えられていない。普通は自由に投票するから票がまとまることはない。ところが悪巧みを考える奴らは徒党を組む。票をまとめる。まとめるために手段をえらばない。

 周りを見てもリベラルな人が多数いるのに、結果的に悪巧みを考えている奴らが政策を決定することになる。

 これは小は小さな地方の団体から大きくは国まで共通する事だ。今この国を牛耳っている奴らはとんでもない既得権者の集団か、偏狭なカルト教の信者たちだ。

 デモすることで何も変わらないのではない、デモする人がいるというだけでも変わるのだ。声を上げよう、嫌だと言おう。


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1971年神戸から北海道 - 2018.02.18(写真)

はる 6135
 馬鹿をやる体質は変わらんな。関西ではイチビリという。何と言うのかな、お調子者。目立ちたがり。そんなところか。ほとんどホームレスのごとく駅や空屋に忍び込んで野宿のごとく寝ていた訳だから高田渡の「ところ構わず寝たのです」そのままです。そんなのでも生きて行けたのですな。若いという事だ。

 ある意味で放浪者というのか浮浪者というのか、何処でも何をやっても生きて行けるそんな人間になりたいと思っていたな。でもそれって何処から来ていたのかな。ある種時代の傾向だと思うのだけれどね。ビートルズから始まった反体制的なスタイルというのか、そんなものにどっぷりと浸ってしまったようだな。今もあまり変わらんけど、当時はもっとそんな傾向が強かった。就職したくないとも思っていたな。

 何だろうな世捨て人的な生き方が憧れだったな。まだこの頃は絵を描いてなかったからな。模索していた時期だろう。
 


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松屋・銀座個展DM - 2017.12.02(写真)
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はる 6068
 自分の作品Noをつけ始めたのはいつごろからだろうか。学生の頃はそんな意識などまるでなく描き散らかしていたわけだからね。30になって絵描きとしてスタートしたわけだけれど、その頃もまだ作品Noは付けていなかった。

 つい最近何点かコレクションしてもらっているお宅に伺って昔の作品を久しぶりに見たのだが、裏に小さなシールが貼ってあるのが1993年の作品だった。その前の作品には貼ってなかったので、ちょうどその頃からシールを貼りだしたのだろう。シールを貼るという都合上トータルNoがあった方がいいということに気がついて、アバウトだけれどそれまでの作品の整理をしたのだと思う。

 作品No一番は1980年作の100号の大作で地元の公募展で大賞を受賞した記念すべき作品とした。兎にも角にも小学校以来初めて賞状をもらったもので舞い上がってしまった。まだ学生だったので電話ももちろん新聞さえ取っていなかった。教育実習中のことで受賞の知らせは学校の図書館で新聞を読んだ時に初めて知った。びっくりして友達に頼んで美術館に飛んで行ったらその日は休館日だったという落ちもついている。

 それがこの間やっとNo2000を越えた。37年かかっていることになるな。もちろん最初の頃は年に20点くらいしか描けなかったわけだから簡単にはいえないけれど、平均するとまぁ年40点くらいか。これが多いのか少ないのかわからないけれど、まぁ死ぬまでに一万点ぐらい描きたいな。もう完全にむりだけどね。

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2017/11/11個展オープニング - 2017.11.12(写真)


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はる 6048
 オープニングライブの様子。こういったお祭りは最初は有料でやろうかと考えていた。ライブを聴いて簡単な食事を出して楽しんでもらう訳だから当然有料でもいいわけだ。しかし一番楽しいのは誰か?と考えると企画した私なんだな。やってみると分かるけれど、招待した人たちが楽しんでいる様子をみてしてやったりと楽しんでいるのは私の方で、自分の楽しみのためにやっていることでお金を取るのは違うよなと思った次第。

 楽しんでもらえたかな?


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秋の月 - 2017.09.05(写真)

はる 5980
 いい月だな。こういったおぼろ月が気持ち的にはしっくりくる。例えばドビッシーの「月の光」だとこうではないだろう。キンキンに凍りついた空に突き刺さるような光が落ちてくる。それを孤独に眺めているという光景が浮かぶ。ところが日本の場合空にも全体を包む空気も湿潤で柔らかだ。ぽやぽやとしてあいまいだ。輪郭も確かではない。

 写生したとしたらたぶんつまらない絵になるだろう。メリハリのない抑揚のないものになってしまう。高山辰雄の絵に似ているな。彼の絵は写生ではない。写生ではないけれど自然観察から離れているか?といえばあくまでも自然を描いている。ある種の理からは離れていない。だから多くの人の心の中に入って行けるのだろう。

 そんな絵を私も描きたいと思う。

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画家・榎並和春です。HPはあそびべのHARU・ここだけの美術館

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