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あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

門つけ芸人 - 2020.02.21(作品)

はる 6868
 私の作品を絵だとすると何か違う。オブジェ、シンボルとか印、マーク、イコンのようなものだろうか。〇とか□とか△でもよい。そんな絵があってもいいのじゃないかな。反対に絵を絵らしくかく上手な作家は数えきれないほどいるわけで、だいたい子供のころから絵が上手な人が大学などでさらに磨きをかけて競い合うわけだ。もう誰の追従も許さないくらいになれば黙っていてもこの世界では売れっ子になれるだろうな。

 私のことを振り返ると、絵などそれほど上手でも得意でもなかった。高校卒業するまで絵など一枚も描いていない。大体高校で選択した芸術は音楽だった。かといってむろん音楽を専門にやれるほどの何もなかった。そこらへんにい普通のぼんくら学生だった。今もあまり変わんけどな。

 今でもそうだけど、物を作ることは好きだった。与えられた条件の中で最大限面白いものを作って人を驚かすというようなことが得意だったな。それと文章だけれど自分のことを考えるときに自分の中にある言葉をつなぎ合わせて心の中を語って行く日記みたいなものが好きだった。この日記を書くという習慣は中学生の頃からの習慣だな。書いているうちに心の中が整理されてゆくというのは今絵を描いて自分を見つけるというのとよく似ている。これも自分なりの方法だと思う。

 絵が自分を探してゆく過程で出てきたものだとするなら、上手である必要なない。むろんうまいにこしたことはないけれど。案外不器用で下手くそな方がいい味を出すようなきもする。何かを描写する必要もない。絵を描く例えばクロッキーしているときと使うセンスとは明らかに違う。あるものはなんだろうな。これだけは必要というのは。

 自分とは何なのか?この感情はどこから来たのか?なぜこのことが不安なのか?こう考えるはどうしてだろうか?という風なまぁそれが「こたえてください」というテーマにつながって行くのだろうけれど、どこまで行っても尽きないのは自分への興味というのか、自分を含めて人間への興味だろうかね。それを何とか表現したいという欲求だろうか。それがとにかく私を動貸している気がする。

 それでは具体的に必要なセンスというとなんだろうか。とにかく全体を統一する理を持つことかな。具象であれ抽象であれ、その作品を成り立たせている統一された理があればいい。

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2019「よりそうひと」F3 混成技法 - 2020.02.05(作品)

はる 6852
 自分は絵描きなどというから混同してしまうのかもしれん。たまたま紙に色を付けたり墨でいたずら書きするから絵のように見えるだけなのだ。〇でも□でも△でもいい。ひと昔前の文人や漂白の詩人のように全国を行脚して頼まれれば襖でも障子でも掛け軸でもさらさらと墨で絵のようなものをかいて、一宿一飯の恩義に報いて感謝しながらまた他の場所を訪ねて歩く。富岡鉄斎のような生き方が素晴らしい。「万巻の書を読んで、万里を旅する」これを座右の銘にしていたらしい。とてもとても真似はできませんがね。


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ドローイング - 2020.01.25(作品)

はる 6841


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月の光」 - 2020.01.17(作品)

はる 6833
 この周りは古い家が多く、空き家になっているところもある。何を隠そう我が家の隣も爺さんが亡くなって空き家になっている。それをいいことに猫が住み着いて我が物顔で出入りしている。最近は自分の持ち物のような顔をして、私が近づくと不審者が来たという風に威嚇するありさま。

 いつの間にか子猫が何匹か我が家の周りをうろちょろするようになって、玄関先が特におしっこ臭い。おい、我が家は公衆便所ではない。我が家の屋根は猫の通り道になっていて、どこどこと駆け回って運動会のようだ。そこまでは許そう。がまんして。

 しかし、夏頃かな。どうも屋根ではない、身近にがそこそ音がする。そんなはずはないと頑なに嫁には天井裏説を否定していた。しかし、昨日あまりにもリアルに屋根裏から音がするので否定できなくなって、のぞいてみると何食わぬ顔でチョコりんと猫さんが座っていた。光当てても逃げないずぶとさ。絶対にここまではこないと分かっているようで腹が立つ。

 というわけで、昨日猫が入りそうな穴を見つける探索をする。一応ふさいだけれどこれでもまだ駄目ならもう一度やるしかない。しかし、私もびっくりしたが、猫さんもビックリしたろうな。急に光当てられて。

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こたえてください5 - 2020.01.10(作品)
無題1
はる 6826
 時々考えるのだけれど、例えばエジプトのミイラが博物館や美術館で展示されることがるよね。いやミイラそのものよりもその副葬品の素晴らしさに私たちは新鮮な驚きを感じるわけだ。また例えばアフリカのドゴン族などの穀物倉庫の扉とかお祭りの仮面とかその衣装に感動するわけだ。近代の美術シーンに大きな影響をもたらしたことは間違いない。

 我々はそれをまぁ手っ取り早く見るために博物館なり美術館にいって解説を読みながらフムフムと鑑賞するわけだ。実際にアフリカに出かけたり、エジプトには出かけられないから、その代用としてそういった施設に出かける。それはそれで一応の意義がある。多くの人を啓もうするという意味では価値があるのだろう。

 けれど、その物にとっては有難迷惑以外ないだろうなと思うわけだ。ミイラにとってピラミッドはお墓であるわけだ。その埋葬品は権力の象徴だったりするわけだな。アフリカの現地の人にとってそれは飾り物ではなく、自分たちの信仰の対象だったりするわけだ。

 教会のフレスコ画などもそうだけれど、教会の壁からはがして美術館や他の展示施設に保存すれば、確かに環境的にはその方がいいかもしれないが、そこでその役目は終わってしまう。魂の抜けた只のものになってしまう。どんなに高尚で優れたものであっても、それは単にモノになってしまう。

 水族館や植物園、動物園もそうかな、それは疑似的な自然ではあるけれど、本来の姿ではない。決してそれが悪いと言ってるわけではないのだけれどね、なんだかそれが本来の姿だといわれると違うと思うのだ。美術館でも徳島に大塚美術館というのがある。ここはすごいよ。システーナ礼拝堂のミケランジェロからスクロヴィーニ礼拝堂のジョットまでほぼ同じ大きさの壁画までそっくり同じように観ることができる。まことに日本的な発想の美術館だ。

 どうなんだろう。仏画や障壁画、仏像にしても本来お寺や墓にあるべきもので、それを取ってきて他の場所に置いてもそれは違うのじゃないかと思うんだな。美術館や画廊というのは仮の安置場所であって、便宜的にその場を借りていると考えた方がいいのじゃないかな。本来あるべき場というのは、自ずからきまってくるのじゃなかろうか。

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牧歌 - 2020.01.09(作品)
無題1
はる 6825
 昨年末から手続きが色々ありましたが、嬉しいことに大作15点まとめての寄贈が決まりました。
 ミッション系の山梨英和大学です。
https://www.yamanashi-eiwa.ac.jp/

まだどういった形で展示されるのか、これから協議することになると思いますが、とりあえず代表作が瓦礫にならずに展示されることになって一安心です。

  寄贈先の英和大学とは何の接点もありません。ご存じかどうか分かりませんが、英和はこの山梨ではキリスト系の女学校として130年の伝統を持っています。その後時代の要求から男女共学の四年生の単科大学として現在があります。

 英和大学の建学の精神が「信仰と教育」という二本柱であり、接点というならば唯一私の生涯のテーマである「いのりのかたち」の造形が共感をもっていただけたということがとても嬉しい。

 一点や二点の作品では私の伝えたいメッセージが伝わらないと思い、できるだけまとまった形で貰ってもらえる場所を探していました。今から考えると、キリスト系の教義を教育のベースにしたここ英和大学しかありえなかったように思えます。

 出来るだけ多くの方の目に触れて、拙作が自分を顧みる何かの切っ掛けになればそれ以上の喜びはありません。


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今日のアトリエ - 2020.01.08(作品)

はる 6824
 これがいいのかどうか、それはよくわかりません。それでも随分と楽に描けました。特に背伸びもしないし、卑下もしない今の私の等身大の絵だといえるでしょう。

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窓辺 - 2019.12.17(作品)

はる 6802
 昔々、今から40年も前になります。六畳一間のアパートに住んでいました。ベットは半分押し入れの中に突っ込んで、そこで無理やり絵を描いていました。古いアパートでしたが、洒落た出窓になっていて、拾ってきた瓶や貰った花がいつの間にか枯れてドライフラワーになったものや、何かしら面白そうなオブジェを飾っているという意識もなく置いてありました。

 午後からの光が逆行になって緩やかな諧調をつけている。いつかここを絵にしてやろうと思っていた。その頃はまだ写生に少し自分のイメージを乗せて描くぐらいしかできなかったので、なんとか見たままではない絵を描けないものかと四苦八苦していたころです。

 見たままを描く写生から、自分なりの絵を描くにはかなりの意識の転換が必要です。写生を続けていれば、やがて自分なりの表現ができるようになるか?といえばなりません。見えたままいくら描いても写生が上手くなるだけで、自分なりの表現にはならないのです。写生と自分なりの表現の間にはかなりのギャップがあると思います。

 自分の表現というのは人に教わるものではありません。ほんの少しアドバイスが参考になるかもしれませんが、基本的に自分んで見つけなければ自分の表現にはならないのです。自分で見つけない事には、何かそれ風に描いたとしてもやがてはメッキが剥げて自分の言葉になってこないのです。たとえ稚拙でも下手くそでも自分で探し出したものには人を納得させるものがあるのですね。

 例えば人にものを教える場合もそうです。どこかで聞きかじったような正論を語ってもなかなか人には伝わりません。自分で見つけ出した言葉には真実があるんですね。言葉を探すのもよく似ています。

 この絵にはそんな想い出がたくさん詰まっています。

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まれびと - 2019.12.09(作品)

はる 6794
   95年に一年かけて夫婦でイタリアを中心に西欧を見て回った。優雅な奨学金のひも付きの旅ではなくまったくの自前の旅で、仕事も何もすべて放り投げて帰宅後のことは全く考えない貧乏旅行だった。結果、油彩画はやめてしまった。もっと土俗的なアジアの風土を意識した絵作りをしなければということに気づかされた。そういったことで出てきたのがこの「まれびと」など風土神です。


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聖なる丘・アッシジ - 2019.12.06(作品)

はる 6791
 この作品は1996年度のものでイタリアから帰ってきて最後に描いた油彩画の一つです。具象絵画です抽象的な絵作りも兼ねた自分の中ではいい感じの作品に仕上がっているように思います。こういった女性をモデルにした作品もいくつか描いていますが、うまくいった作品は少ないな。作品の出来としては代表的な平均律よりこちらのほうが、私なりの想い入れも含めていいように思います。メインテーマである「いのりのかたち」というのが画面の中からしみじみとにじみ出ている。

 その後作画のスタイルがミクストメディアになって油彩画を描かなくなってしまったから、ここら辺の作品は私の中でも貴重な作品だ。何も新しくないごく普通に絵画だけれど、それはそれでいいのじゃないかな。

 今回寄贈する作品の中の一点です。


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画家・榎並和春です。HPはあそびべのHARU・ここだけの美術館

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