あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

存在する事の不安 - 2015.06.01(画集「こたえてください」1)


存在することの不安
S100
1996
最後の油彩
はる 5079
 http://ameblo.jp/e-no4765/entry-12033843956.html
紹介してもらった。

 最後の油彩画になってしまった。これ以降油彩は描いていない。今回久しぶりに引っ張り出してみましたが、油彩でありながら新聞紙をコラージュしてあったり、最後のあがきをしています。油彩の場合他の材料を画面に持ち込むのはかなり難しい。そういったことに適した材料ではないということだ。

 油彩は15世紀の頃ファンアイクによって確立されたとされている。その頃の油彩画というのはまだ完全な油彩だけの画法ではなく、昔からのテンペラ画なんかの併用だったようだ。しっかりした下絵をモノクロームで取ってその上に薄く油彩で着彩するという画法だったようだ。そういった描き方だから一度下絵が出来てしまってからの変更はほとんどできなかった。ある種工芸作品のような職人仕事であったのだろう。

 その後同じフランドルの16世紀の画家ルーベンスの頃には有色下地を利用してかなり自由に描いていたようだ。それでも基本的に油彩画は下地から積み上げて計画的に描き進めるのに適している画材で感覚的に即興的に殴りがきするのに適した画材ではない。

 19世紀になって印象派が出てきて野外でスケッチするように即興的に生乾きの油彩画をひっかけて描くような画法はある意味油彩画の画法にとっては壊れているわけで、水彩画やスケッチなどの画材の方がむいている。

 さて、最後の油彩画になったこの絵について。テーマがそういった意味でかなり深くなってなってきた。それが伝わっているかどうかは別にして、絵で何かを伝えたいという気持ちは伝わってくる。

 例えば「世界平和」を今の私がテーマにしても、確かにそれは正しい事だし、誰も反対はしないだろう。けれどそれは当たり前すぎて誰も聞いてはくれない。自分の生活から滲み出た切実な言葉ではない。そこらあたりの高校生でもそのくらいのことはいう。

 たとえ世界平和を訴えるにしても、「一輪の花」を大事にする心みたいなことから言ってもいいわけだ。出来るだけ身の丈に合った、自分の生活感覚から伝えて行く、どうすれば自分のメッセージを伝えるのか表現するのか、そのことのために一生を捧げるわけだから、そんなことを考えていた。

 この後油絵の具をすべてアトリエから追放した。


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聖なる丘 - 2015.06.01(画集「こたえてください」1)


聖なる丘
S100
1996
油彩

はる 5078
 いよいよ後一枚を残すだけになりました。みなさん読んでます?反応がないので少しさみしいですな。過去を振り返っても面白くないかな。

 1995年から96年にかけてイタリアを中心に一年かけて念願の長い旅に出ました。成果は油彩画を描くことを止めたことでした。理由は色々あるのですが、第一の理由は画材へに対する考え方が変わったということかな。

 反対に言えばなぜ油彩画なのか?絵を描くときにほとんど考えることなしに油彩を選んできたのだけれど、ここにきてなぜ油彩なのかという疑問が湧いたということだ。それが皮肉にも油彩画の本場を訪れた後にやってきたことが面白い。

 学生のの頃から材料に対する興味が湧いてきている。油彩画にしても顔料から絵の具を作ったり、キャンバスも麻布をに白亜を塗って自家製のキャンバスを作ったり、オイルに関しては随分とこだわって自家製のオイルの調合をしたものだ。

 そういった材料へのこだわりが反対に油彩への違和感を感じだしたということだ。

 何でもそうだけれど、例えば料理でも出来合いのルーを買ってきてカレーを作ったとしても、中身がビーフになるかチキンになるかきのこになるかぐらいのバリエーションができない。まぁそれでもそこそこ調理したという満足はえられるのだけれど、本質的な違いはない。そこから得られる情報はかぎられたものだ。

 ところがカレー粉をウコン粉とクミン粉とコリアンダーパウダーとシナモンとチリペッパーなどの香辛料を炒めて少し小麦粉を入れてとろみをつける。後は好みでリンゴを擦っていれたり色々。ここから得られる情報はとんでもなく大きい。そうやってもっとも根底から考えて作られた場合のバリエーションは限りがない。いくらでも応用がきく。

 絵を描くと言った場合に、最初は画材店に走って油彩なら油彩、水彩なら水彩と道具をそろえるのだが、そこに留まっている限り応用がきかない。絵を描くという本質からどんどん遠ざかってゆくのだけれど、描写という事から離れて「表現」という領域に入ってくると必ず自分とは何なのか?という問いかけにぶちあたる。自己を掘り下げて一番根元にある源泉に近づくことと、絵を描く材料まで戻って考えることと似ている。

 例えば絵の具は色の粉なでノリは膠でもアクリルでもボンドでもいい、キャンバスはコーヒーのずたぶくろ、段ボールも布もコラージュ出来る。そうやって考えると随分と表現の幅が広がることに気が付いた。

 この「聖なる丘」はたぶん最後の油彩画の一つです。モチーフはアッシジのフランチェスコ教会ですね。極々落ち着いた普通の油彩画ですが、私の中ではよくできた作品だと思います。


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長い旅立ち - 2015.05.31(画集「こたえてください」1)


「牧歌」
F130
1993
油彩

はる 5077
 暗中模索で始めた絵画生活で、くじけそうになりながらも何とか続けることが出来たのは、時々もらう受賞というご褒美だ。誰が何と言ってもいい、自分がいいと思えばそれでいい事なんだと分かっていても、やはりそれだけで納得することはなかなか難しい。

 県内では結構大きな賞を貰ったことはあったけれど、なかなか全国区の賞を貰ったことがなかった。全国ではやはり通用しないのかと諦めかけていた時にもらったのがこの「牧歌」でもらった国画会の新人賞だった。本当に思いもよらなかった受賞だったので飛び上がるほど嬉しかった。

 絵を描く人生を歩むと決めてもだれも認めてくれないのじゃ自信を無くす。やっぱり誰かに「それでいいのだよ」と言ってほしいのだな。なんとなくこのままやってもいいのだと自信を持った一瞬だった。今でもあの時の興奮を思い出す。私の中では大きなエポックになった作品だ。

 テーマは「方舟」あたりと変わらない。人類の理想郷みたいなことを考えていたんじゃなかな。方舟で向かった新しい場所、普遍的な人類が目指すべき場所、もっと言えば自分は何処に行こうとしているのか、自分は何者かというふうなことをテーマにしている。

 この二年後1995年に阪神大震災があり、そして「私は何者か」という問いを持ってイタリアを中心にした長い旅にでることになる。


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方舟 - 2015.05.29(画集「こたえてください」1)


方舟
1992
F130
油彩
はる 5075
 ここらあたりの絵はかなり計画的に進められていて、どの部分にはどういった地塗りをして、仕上がりはどう見せるといったように描かれている。だから下絵がしっかりあって、自画像のデッサンもかなりとったように思う。実物を見ながら少しイラスト的にデフォルメすることが面白かった。女性の顔よりも自画像に方が自分の想いを表現しやすい。

 作画の方法は「若い音楽家」や「平均律」と違わない。しかし、テーマが少し変わってきた。まだまだありきたりだけれど、自分なりに社会的なテーマに取り組み出している。純粋な絵画表現で何かメッセージを込めようとした場合、ややもすれば一昔前の政治的なプロパガンダのような表現になることがある。それを突き詰めると今のコマーシャル写真のようになって絵画表現とはどんどん違って来てしまう。そこのところが難しい。

 言葉で表現した方がいいような絵画などあまり意味がないわけだし。絵の説明になっても面白くない。漫画やイラストのようにもしたくない。そうやって突き詰めて行くとなぜ絵を描いているのか、絵でなければならないかという疑問がどんどん湧いてくる。袋小路に入ってしまう。

 ある意味もっと普遍的な根源的なテーマを見つけたい。自分の存在を問うようなテーマを見つけたいというのが次のステップになる。


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平均律 - 2015.05.28(画集「こたえてください」1)


平均律
F130
1990油彩

はる 5074
 音楽について詳しいわけではない。詳しくはないけれどバッハは好きだな。よくわからないのだけれど宇宙空間にでた時に流れている音楽はバッハの曲ではないかと思う。それほど何の作為もない自然な音楽のように聞こえる。天才モーツアルトでさえ作為的なものを感じるからね。

 平均律という言葉もバッハだから許される気がする。一オクターブを半音ずつ12段階に分けてそれぞれ長短24曲を均等に作曲するなどという芸当はバッハにしかできないだろう。音楽の源泉という海があってそこから必要なものを取り出したような普遍的な音のつながりで美しい曲でありながら練習曲にもなっている。

 タイトルはとても大事な要素になる。たぶん絵を描きだした当初はまだタイトルは決まっていなかったように思う。絵が仕上がってどういうタイトルがこの絵にぴたりと合うのか考えた。「ピアノソナタ」でもよかった、ベートーベンの最後のピアノソナタも好きだったからね。平均律という言葉の響きが何というのか、すべてを均等に踏まえて平等に過不足なく備えている音楽という響きがある。そのことが当時の自分の絵に対する気持ちと一致した。

 単に壁の飾りを描いているのではなく、自分だけの楽しみに描いているのでもなく、ある意味人類の、、とか命の、、といったもっと大きな普遍的な意味が隠されているように感じたからだ。

 この作品は地元の展覧会で大きな賞を貰った記念すべき作品になった。

 


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若い音楽家(チェリスト) - 2015.05.27(画集「こたえてください」1)


「若い音楽家」
F100
1990油彩
はる 5073
 この前の作品から五年ほど経っている。その間見てわかるように有本利夫の影響をもろに受けている。まだこの作品などはその影響が少ない方だ。彼のそのデザイン化されたスタイルと色、壁画のようなマチエール、物語性など未だにその範疇から抜けていないようにも思う。

 それとチラシの方にも書いたけれど、只の壁の飾りを描いているわけではない。音楽や文学、その他の表現のように見た人の心を揺さぶりたい、もっと共感してほしい、もっと切実なメッセージが伝えられないかと思ったんだな。そうなると、タイトルにあらわされる「ことば」も大切な要素になるのじゃないか。短歌や俳句、詩のような短い「言葉」でイメージを伝えることが出来ればもっと表現がダイレクトになるのではないか。そんなふうにも思った。


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風景の中の人物 - 2015.05.26(画集「こたえてください」1)


風景の中の人物
F80
1984
はる 5072
 今頃花粉症なのか、風邪なのか、洟汁がでて咳がでるが熱はない。気持ちが悪い。早く寝よ!

 さて、この絵のこと。バックになっているのは私の子供の頃に過ごした神戸の舞子の海岸沿いに建ってる通称「六角堂」。実際は八角だそうだが、何処から見ても六角に見える。正式には「移情閣」というそうだ。辛亥革命の孫文の記念館でもある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%AB%E6%96%87%E8%A8%98%E5%BF%B5%E9%A4%A8

 今では立派な記念館に改修されているけれど、私が子供だった頃は海沿いに建っていたものだから潮風や台風にやられててボロボロになっていた。誰も住んでいないと思って友達と尋ねると本当に魔法使いのような婆さんが管理人として住んでいて、喜んで中を案内してくれた。そのまま忍び込まなくてよかったと安堵したしたことを思い出した。なかは本当にすさまじく壊れていた。

 この六角堂は私の子供の頃のシンボルとして色んなバージョンで描いている。誰でもそんな場所があるのではないだろうか。

 そういった風景と今現在の自画像を組み合わせて、いまここに居る自分というのを確認しているような気がするなぁ。まぁ自画像しかモチーフがなかったということもあるけれど。


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人物のいる風景 - 2015.05.23(画集「こたえてください」1)


人物のいる風景
F80
1984
はる 5069
 一見昨日の絵と違って見えますが、やっていることはほとんど変わりません。セザンヌから始まったキュビズムは多視点という方法で違った場面を一つの画面にまとめました。見えたまま描く遠近法ではなく記憶にある、過去に見た経験も画面の中に取り込むということをしたわけです。

 ところでこういった方法はカメラや映像の発達で多くの作家が影響されていたようです。印象派の頃から写真が出てきて動くものの描写に利用されていたようです。あのベーコンの人の顔がぐるりと一回転したような絵もそんなところから出てきたのじゃないかな。

 それはさておいてこの絵の話に戻ると、簡単に言えばダブルイメージという事になる。今でもよく使う手なのですが、モンタージュとかコラージュに近いかな。一つの画面に違ったものを組み合わせて新しいイメージを作るという方法。この方法だと下絵を二つ用意すれば実際に物を見なくても何とか絵にすることが出来る。人物の中に風景の一部が入ってきたり、また反対に風景のなかに人物が溶け込む。

 技法で言うならそんなことをやっているのだが、やりたかったことは物を一度バラバラに解体してもう一度自分のルールで組み立てるといったことをやっている。


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丘からの眺め - 2015.05.22(画集「こたえてください」1)

「丘からの眺め」
F80
1983
油彩

はる 5068
 この頃絵が大きく変わった。一つは木村忠太に出会ったこと。そして仕事を辞めてぷー太郎になったこと。そんなことが関係しているのかもしれないな。とにかく人生の大きな節目の時だった。私の人生の中であれほど荒れ狂った時もないのじゃないだろうか。

 ある程度覚悟して教員になった。そのことに後悔はなかったはずだった。「絵描き」なんかなれっこないよな、それなら「でもしか先生」で二足のわらじで行こうと腹をくくったつもりだった。

 ふたを開けてみると、やっぱり腰かけでやれる仕事ではなかった。子供たちは正直だ。無理難題を押し付けてくる。今考える当たり前だけど、趣味じゃないからね仕事は。一年できりを付けた。3年やっていたら辞めることはできなかったように思うな。あれから30年以上経った。続けていたら今頃は定年退職でのんびり老後の人生をおくることになったのだろうか。もしもはない。

 何か仕事のあてがあって辞めたわけではなかった。とにかくもう定職には就かないと決めた。絵で食えるとも考えていなかったし、もちろん個展をやったこともなかったし、どこかで大きな賞を貰ったこともなかった。誰かが褒めてくれたこともなかった。それでも絵を描いてゆこうとそれだけを決めた。食えなくてもいい。「絵を描く」それだけでいいと思ったんだな。今考える我ながら凄い決断だね。

 ボロイ車(スバルサンバー360)を買って、この絵は車に屋根に積んで現場で描いたものだ。アトリエ制作というのが出来なかった。どうやって見ないで作品を描くのか、今まで静物を並べて描いていたので空想で絵を描くなど出来なかった。実際の風景を見ながら何とか自分なりの形を見つける工夫をした。色はセザンヌのままだけどね。なんとかめぼしが着いたようだ。


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コーヒーサイホンのある窓辺 - 2015.05.21(画集「こたえてください」1)


コーヒーサイホンのある窓辺
F100
1980

はる 5068
 随分昔にこれについて書いたエッセイを発見した。いま読み返しても面白いので載せてみましょう。
はる 552
 1980「コーヒーサイホンのある窓辺」F100 
 「コーヒールンバ」というなつかしい歌を井上陽水が唄っ てるのを聴いた。「あかしやの雨が止む時」なんかと一緒にヒットした歌謡曲で、西田佐知子があの鼻に掛かったような声で唄っていた。昨日の話じゃないけれ ど、ボサノバ女王といわれた何とかジルベルト(名前を度忘れした)も最初は素人っぽいなんていわれていたけれど、それが「個性的な声」となって最後には 「ボサノバには無くてはならない歌声」ということになった。素人っぽさもそれを売りにまで昇華させれば本物になるということだな。

 コーヒーをは じめて飲んだのは小学校も高学年になっていたと思う。当時はインスタントコーヒーなどなくて、今から考えるとかなり荒挽きの缶入りの粉だった。専用のポッ トに何杯かそれをいれて茶漉しでこして飲んでいた。手間を食うわりには美味しくないもんだという印象しかのこってない。

 その後学生になって初め てバイトした音楽喫茶は、当時の流行なのかすべてサイホンコーヒーだった。サイホンに入ったお湯がポコポコ音を立てて揺らいでいるのを、きれいだなぁと眺 めていたおぼえがある。実際はサイホンでたてるコーヒーは少し苦くなりすぎるところがあって、それから掃除が面倒だということもあってドリップ式に取って 代わられた。今サイホンでコーヒーを入れている家庭は珍しいのではないかな。

 さてこの絵は始めての100号だ。セザンヌから始った絵画の道はそ ろそろキュピズムの尻尾が見えてきた。構成を大胆に平面化しょうという意図が見え隠れしている。具体的な形や色がまだ色濃く残っているので、そういった意 味では分かりやすいく、美くしく仕上がっているようだ。こういった素人っぽさも突き詰めていけばいいのだけれど・・・。
 


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