あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

はる 6181 - 2018.04.05(ブログ)
はる 6181
 今日は画像なし。

 午前中から額入れ開始。昼食をはさんでほぼ半日これにかかる。あとそれに合わせてリストやDMの住所シールも印刷する。四時過ぎに歯医者の予約をいれる。いよいよ奥歯がだめになってきた。何かの拍子に歯が割れてしまったらしい。もろくなっているんだな。抜くのは最後の手段で騙しだまし使って行くということに決まった。痛くなったらその時は抜くしかないらしい。入れ歯にするか。

 

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瓢箪鯰 - 2018.02.24(ブログ)

 如拙「瓢箪鮎図」

 
はる 6141
 今朝の新聞にこのことが書いてあって長年の謎がやっと解けた。なるほどと思ったのだな。教科書などの解説にはぬめぬめナマズを形の丸い瓢箪で取り押さえることの難しさ、不可能な事、こっけいな事のたとえ話とたぶん書いてあった。高校生の時にこりゃなんじゃと思いながらもそうなんだと納得していた。しかし、今日の解説を読んで全く違う話じゃないか。

 発想の転換。瓢箪の中に自分の意識をいれる。今あなたは瓢箪の中にいる。そして靴下をひっくり返すように瓢箪の内と外をひっくり返すとどうなる。今まで外と思っていたもの、ナマズを含めた宇宙全体が内になって外が瓢箪の中に入ってくる。なんと壮大な話じゃないか。

 何とも分かったような分からん話だ。おもしろい。この発想の転換、何に着目するか、私はどう見たのか考えたのかというのが芸術の要ですね。普通に何気に見ていたら気づかないものが、そのアイディアでもって全く新しく見えてくる。

 解釈が間違えているかもしれませんが、ちょっと考えてみました。Aは瓢箪のなかに私の意識をおきました。ナマズを含めた全宇宙が外の世界です。Bは瓢箪を靴下のようにひっくり返しました。そうするとナマズを含めた全宇宙(外の世界)が瓢箪の中に入ってきます。裏かえった瓢箪の中は今まで見ていた瓢箪の皮が接していた空間です。瓢箪の形をした摩訶不思議な空間ですね。面白い。


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静岡懐山のお面 - 2018.02.13(ブログ)
無題
静岡懐山のお面
はる 6140
 2000年の三月に胃を原発とする悪性リンパ腫を告知された。治療方法は胃の全摘しかなく五年生存率が何パーセントとか言われた。告知された一週間は強烈に落ち込んだ。今では治療方法もかなりオープンにされていますが、当時癌の告知は「死の宣告」のように思ったものだ。

 当時読んだ新聞の投稿に「悲しい人しか見えない」というエッセイが載っていた。癌を告知された若いお母さんの話で、満開の桜がはらはら散る様子はこの世のものとは思えないほど美しく感動したという話。これを読んで泣けたなぁ。泣けた。あれほど美しい桜はもう見ることはないだろうな。

 学生時代の友人のお姉さんが癌になった。もう治療方法はなく、これからは緩和ケア―しかないという話だ。後数か月の余命だから、最後に桜の花見をして温泉にでも行きたいと言っていた。それだけの覚悟はなかなか出来ないよ。あぁ思い出して泣けてきた。いずれ我々も行く道だけれどもね。

 今は完治して悲しい桜は見えません。



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はる - 2018.02.07(ブログ)
はる 6134
 今日は画像なし。たまにはいいか。

 この間ある人のブログを読んでいてアぁそうだなと思ったことがある。その美術の批評についてだけど、まぁ自分勝手な解釈でかなり飛躍しているようにも思うのだけどまぁ勘弁してくれ。

 我々はある意味で絵画というのは言語化できないものであって、言葉に出来ないから絵にしているんだ、絵にするんだという考え方が根強くある。だからという訳ではないが目の前にあるものを出来るだけ忠実に写生すること、または見えなかったものを見えるように具現化する事が絵画の重要な使命だと考えているふしがある。

 そうではなくて我々が見たり聞いたり考えたりすることは一度客観的に言語化することで、より一層明確に表現として人様に伝えることが出来るのではないか。言葉に出来ない感動というはなかなか人様に伝えることが出来ないのではないか。

 まぁちょっと飛躍するけれど、表現するということをあまり重要に考えていないのではないかな。どうだろう。とにかくむやみに感情表現が不得意で、できるだけしゃべらない説明しないのが男らしいカッコいいと考えられていた社会だからなぁ。むやみに余計な事をだらだらおしゃべりするのは軽薄だなどと思われたようだ。

 絵など言うものは美しいものをただ美しく表現すればいいのであって、それで何かメッセージを表現するなどという事は不可能だとかんがえてはいないかな。そんなふうには教えてもらわなかったな。

 むろん絵画には絵画の言葉があるから、言語のように説明は出来ないのだけど、言語よりダイレクトに伝えることができることもあるように思う。

 とにかく一番大事なのは表現ということであって、何かをメッセージとして伝えるということで、でなければ絵を描く意味は半減するだろうな。海外の人たちのこの自己を表現するという貪欲な姿勢は少しは見習ってもいいかもしれんな。同じ絵画を並べた場合、日本人の作品は小奇麗だけで何も伝わってこない。海外の作家の作品は不器用だけれど何かがガンガンと伝わってくる。これは表現という意味の違いのように思うな。

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あけおめ - 2018.01.03(ブログ)

はる 6100
 もう六千百になってしまった。早いもんだな。

  みなさま明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

さて、今年は訳あって賀状は割愛させていただきました。失礼がありましたら、このわんこに免じてお許しください。

 新年あけ早々に個展が控えております。初詣に銀座参りはいかがですか?
・・・・・・・・・
■2018年 1/10(水)~1/16(火) 
  期間中作家在廊予定
第89回・榎並和春個展
個展タイトル「なにげない日々2」
松屋・銀座
〒104-8130
東京都中央区銀座3-6-1
03-3567-1211
・・・・・・
DM希望は下記のメールホームまで。
http://form1.fc2.com/form/?id=7f409aaa743b035e


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今日も元気だ。 - 2017.09.07(ブログ)
 写メが上手く送れないようです。
はる 5982
 よって今日は写真が有りません。昔ネットを始めた頃は、HPの掲示板というところでこの日記のようなものを書きはじめた。そのころは当然携帯など普及していなかったわけで、当然写メなどという高級な技は使えなかった。いまでは当たり前に携帯から写真を送れるのだが、これは画期的なことなんだよな。

 今現在ここのいることを世界中の人が同じ目線で確認できるという事で、考えてみると非常に恐ろしい事だ。今は位置情報を入力することでその人がどこにいるのか、今日何をしたのかを知ることが出来るという事だ。こわいな。

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七月一日 - 2015.07.01(ブログ)
はる 5107
 今日は写真はなし。こんな日があってもいいかな。今日は地元の公募展の審査があった。どの町にもこういった地元の美術団体があり公募展を年一回開催する。全国区の公募展もこういった小さい町の公募展も同じでそこの会員たちがほぼボランテァで会を運営している。大小はあるけれど運営自体は良く似ている気がする。

 町で小さな教室を主宰してるのでこういった公募展はメンバーのモチベーションの向上にもなるので奨励している。私自身が若い頃にこういった公募展で育てられてきたという経緯があるのでよくわかる。長く続けて行くには、まずは小さいこういった地元の公募展で入選、入賞を目指すというのがいいように思うな。地元の小さな公募団体なんてと歯牙にもかけない人がいるけれど、それは違うとおもう。

 いきなりたくさんのライバルの居る場所に出ても多くの場合うずもれてそれで終わってしまうだろう。武者修行としてそれも大事だけれど、まずは小さい所で着実にやって行くというのが長く続けて行く王道だとおもうな。まぁそれで食ってゆくというのであれば違うのかもしれないけれど、私は地元を大事にしないものは全国区でもだめだと思な。

 さて寝るとする。

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はる 4954 - 2015.01.27(ブログ)
はる 4954
 今日は画像が添付できない。どういうわけかよくわからない。というわけで今日はお終い。また明日。

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憲法前文 - 2015.01.11(ブログ)


はる 4938
 日本国憲法前文・・
  日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自 由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法 を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこ れを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
  日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安 全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地 位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

 中学生の頃、授業でこの前文を暗記させられた。難しい言葉や意味があったけれど、何となく気高い理想を感じた。ここには人類普遍の理想が掲げられている。 実際の世の中では争い事や災いが絶えないけれど、我々はこういう世の中を作りたいという理想を掲げていいのだ。それが現実に合わないからといってちょこま かとその時の為政者の思惑で変えるべきでない。 


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仕事 - 2014.06.24(ブログ)


はる 4735
 絵描きというのは難しい仕事だわな。どこまでが仕事で、ここからが自分の趣味だというふうに分けられない。年がら年中遊んでいるようでまた、四六時中仕事のような気もする。職人ではないのでアトリエに入るのもきっちり時間が決まっていない。家にいる時間が多いので、宅急便が来たり、電話にでたり、洗濯物を取り込んだり、布団を干したり、庭の雑草をとったり、畑に水をやったり、気になっていた家の修理をしたり、雑木林のような庭木の剪定をしたりで、なにもしないでも一日が暮れる。

 家のど真ん中にアトリエがあるので、交通の要所になっている。トイレに行くにも風呂場に行くにもアトリエを通って行かねばどこにも行けない。必然的にそこにかかっている描きかけの絵が目に入る。何とかしてくれよ!といつも訴えてくる。時々いいアイディアが浮かぶ。ちょこちょことメモして貼り付けておく。すぐに忘れてしまうのでね。

 画家とか作家などは、その仕事のスタイルは神秘的なベールに包まれていた方がそれらしく見えるようだけれど、こと私に関してはまるで作家らしくない。絵の前に座って瞑想しているように見えるかもしれないが、それは眠っている場合が多い。実際に絵を描くよりもの考えている方が多い。眺めていることの方が多い。これで仕事になっているのかな。


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