あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

今日のアトリエ - 2018.02.20(ポケットの窓から)


はる 6137

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はる 6136 - 2018.02.19(ポケットの窓から)

はる 6136
 大阪の学校を卒業して焼き物の絵付けの仕事をしていた。当時考えていたことははっきりとは覚えていないけれど、何をやっても何処にいても生きて行ける自信はあった。でもそれは時限爆弾のようにタイムリミットがあっていつまでもとはいかないのは分かっていた。しかし、日々の忙しさにかまけて、出来るだけ見ないように考えないようにしていたんだな。

 私は職人になりたかった訳じゃない。ただ流されるように髪を切って小奇麗にして就職するという気には到底なれなかった。学校卒業すればどこか適当な就職口を見つけて、どこかで自分と折り合いをつけて満員電車に揺られて会社勤めをする。何の特技もない人間はそうやって他人様の釜の飯を食うしか方法はないじゃないか、そうそれは頭では分かっていたのだけれどどうしても「いやだ」。兵隊のように良く見えない敵に向かってがむしゃらに戦うのはどうしても「いやだ」。その考えはいつごろから有ったのだろう。

 それだったら大型の免許でも取ってダンプの運転手でもなった方がいいと真剣に考えていた。使われることに変わりはないのだけど、何か自由がある気がした。もっと好きなように生きてみたい。学校卒業するまでは親の言いなりでも仕方ないだろう。学費やその他いろいろ世話になっているのだから、そこからは例え野垂れ死にしてもいいから好きに生きて行きたい。何だろうこれは、表面上には表れない心の奥底にある願望だな。

 仕事と収入、自分の生き方、何をしたいのか、何が出来るのか、そこら辺りは本当に良く考えた。二十歳そこらの若造じゃ絶対に結論などやしない。収入を得る方法は何処かで身を売って、時間を売って得るしかないのだからね。結局何もしたいことなどなかったのだ。絵描きになりたかった訳じゃない。たまたま最後に残ったのが絵を描くということだっただけだな。

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今日のアトリエ - 2018.02.16(ポケットの窓から)


はる 6143
 さて何を書くか?そう思って何も浮かばない日もあるな。そういった時は何か目の前にあるものを取り上げる。例えば今目の前にあるのは万年筆だ。でこれについて何か思い出しながら書いてみよう。

 私が小学生の頃はまだ文具は鉛筆と消しゴムだったな。シャープペンが出てきたのは中学生の頃だったか。それでも今のノック式ではなく、ぐるぐるとネジのように巻いてゆくタイプだった。これは故障が多くてね。学生の文具というのはまだ開発途上だったな。高校受験の頃にはノック式のシャープンが出てきたかな。これで一気に鉛筆が筆箱から消えた。

 中学生の最終学年だったか、東京から転入してきた男子H君が万年筆を胸にさしていてカッコいいなぁと思ったことをよく覚えている。夏服になった時にさりげなく見えかくれしてこいつは何てオシャレなんだとおもった。まぁけっこう問題の多い生徒だったけど、私とは割と仲が良かった。今から考えると東京で問題を起こしていられなくなって関西の親戚に預けられたんだな。ギターで「禁じられた遊び」を上手に弾いた。そんなのも他の生徒と違ってたな。高校が違ったので自然に合わなくなったけど、噂ではヤクザになったと聞いたな。

 高校になって日記をつけるようになって筆記用具は万年筆、インクはブルーブラックと決めていた。あの万年筆はそんなに凝ったものではなかっただろう。たぶんスペア―インクが出始めた頃で、パイロットじゃなかったかな。万年筆は他の筆記用具と比べて何か特別感があって好きだな。今でも手紙とかハガキなどを書くときにボールペンより高級感があって使う。貰った場合も万年筆のインクの味は他とは断然違うように思うな。面倒だけれどね。

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仮面 - 2018.02.12(ポケットの窓から)


はる 6139
アフリカのお面
・・・・・・・・・・・・・・
 何年か前、東京の民芸館におじゃました時に古い民芸の雑誌があった。そこの表紙絵に使われているお面の写真が素晴らしかったのでむさぼるように読んだ。アフリカの仮面のようにも見えるし、古い壊れかけのお面のようにも見える。実はこれは静岡県の懐山に伝わる土着のお祭り「おくない」に使われるお面だった。

 普通お面と言えば誰かそれを専門にした職人が技巧的にも技術的にも粋を集めた、例えば舞楽面とかお能のお面を思い浮かべるが、このお面はもっと土俗的な今までお面など作ったことがないようなお百姓さんがその年の豊穣を願う舞のために精魂込めて作ったというようなお面なんだな。この下手臭な無作為さがいい。

タオ展tao展


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今日のアトリエ - 2018.02.11(ポケットの窓から)


はる 6138
 なぜ仮面を作ったのだろうか?そんなところを探りながら書いてみます。つじつまが合わないところがあるかもしれませんが突っ込まないでください。

 元々お面は好きだった。家にはアフリカの仮面をはじめバリ島のガムランのお面とかその他いろいろコレクションしている。このお面を作ったのはある画廊の個展の企画で何か新しいことをやってみないかという話があったので、それでは前に一度作ったことのあるお面に挑戦してみようと思ったのだな。

 さて、お面が好きだと書いた。この好きというのがどこから来ているのかなんだな。好きに理由はないというかもしれませんが、それで終わってははなしが続きませんな。どこかにその糸口があるはずだ。

 アフリカのお面を始めてみたのは銀座の個展会場の目の前にあるアフリカのいろいろなグッズを展示販売している「かんかん」というお店だった。そこにドゴン族などのアフリカの民族の仮面が所狭しと展示されていた。その後いろんな美術館で同じようなグッズを見ることになるのだが、とにかく一番最初に見た仮面は衝撃的だった。

 アフリカングッズのすごいところはアールブリュットなどと同じように西欧的な美術教育を受けていない生の表現だからだな。専門家でさえない、そこら辺のおっさんが自分たちのお祭りなどのために日常生活の合間に鼻歌でも歌いながら作るわけだ。時間はたっぷりあるわけだから、特に急ぐ必要もない。お金儲けのためでもない。芸術のためでもない、美しいとかきれいだという概念もないわけだ。あるのはなんだろうな、大いなるものへの畏敬の念とか、畏怖とかおののきなどだろうか。そういう無作為な「いのりのかたち」みたいなもの、人間の奥底にある源泉を表現したかったのではないかな。

 この「いい」と感じる何ものかを自分の手で作ってみたかったということになるのかな。

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ポケットの窓から - 2018.02.08(ポケットの窓から)


はる 6135
 昨日の記事にこんなコメントがついた。
「意思を込めて描くということは案外容易いように思う。よく稚拙な絵というけどこの稚拙って言うのがよくわかりません」

 コメントをくれた方は退職後趣味で絵を描かれる方の様です。あまり上から目線で答えるのも失礼にあたるので答えるのは難しい。こんなふうに答えた。
「気持ちを込めて描くことは容易ですが、それを人様に伝えることは容易ではありませんね。無意識に出てしまうのが稚拙さで、意識して出すのが表現(技術)だと思います」

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タオ展  - 2018.02.06(ポケットの窓から)


TAO展 2018 2/8~2/13 甲府・ハーパーズ・ミル
はる  6133
 絵を描いて生きて行こうとは決めていたけれど、絵描きという職業に就きたかったのかどうか、大体なりたいと言って成れるものでもないだろうし。昔の徒弟制度のようにどこか親方について修業すればいつかは独立できるというような仕事ではないだろう。

 例えば、風景写生が好きで得意で旅に出て絵になるような場所を探して何枚かスケッチする。それを何枚か集めて展示会をするとする。まぁ場所を変えることで何枚でもバリエーションは描けるわな。そうやって少しずつお客さんを増やして知名度も上がってくればそこそこ仕事として職業としての「絵描き」はやって行けるかもしれん。最初は二束三文でもどこそこの団体で受賞したり、会員になったりすれば知名度も単価も上がってきて裕福ではないが食べては行けるかもしれん。でもそんなことをやりたいのかなぁ、確かにサラリーマンやってるより自由はあるし、気楽には見えるけど、高級だけどそこらの街の似顔絵かきと基本変わらん。これが一生かけてやりたいことかなと思ったわけだ。

 それでも人様に観てくれた人に感動を与えることはできるわな。例えばあぁここに行ったことがあるだとか、絵のように綺麗だねとか、ここを知っているだとか。でもそれだけだな。それ以上は難しい。

 私がやりたかったことは、出来るかどうかは別にして、まず何よりも絵に自分の生き方を乗せたかった。自分の生きざまをそっくりそのまま乗せて、私が人様に伝えたかったこと、感じたこと、人生の儚さや楽しさ面白さを絵の中に乗せてみた人が同じように楽しんでもらいたい。私があーだ、こーだと考えたことを、見た人も同じようにあーだこーだ考えて心の中を旅してもらいたい。絵が仲立ちをして共に時間旅行して欲しい。

 それは何だろな、絵描きというより表現者。かっこつければ詩人とか夢想家とか思索家とかその方が断然に楽しいしやりがいもある。そうやって生きて行ければ本望だな。

 

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今日のアトリエ - 2018.02.05(ポケットの窓から)


はる 6132
 自分は絵が得意であると自負したのはそれよりずっと前、幼稚園に上がる前の事だったきがするな。ある日外から家に帰ってくると真新しいクレヨンとスケッチブックがちゃぶ台の上に置いてあった。当時の我が家の家庭事情で食べる事以外に子供に小遣いをあてる余裕はなかったはずだ、にもかかわらず新品のクレヨンが私のために買われていたという事が画期的なことだったのだな。後にも先にもこれ以外覚えていない。今の子供たちはある意味かわいそうだな、物があふれているのでどれが自分にとって大切なものか判断ができにくい。

 そこから想いでは飛ぶ。幼稚園の学芸会の話。これは前に書いたので再掲載する。
はる 4221
 あれは幼稚園に通っていたころだ。幼稚園などというところはたぶん当時も今もあまり変らないのじゃないだろうか、お話を聞いたり、お絵かきしたり、お遊戯したり、お歌を唄ったり、そんなことで一日が過ぎてゆく。

 年に一度の学芸会のようなものがあって、秋の虫の音楽会というふうなテーマだった。それぞれが何か虫の被り物をしてカスタネットやタンバリンを叩いてがしゃがしゃやっていたのだ。そのバックに大きな模造紙で色々な虫の絵を描いた。

 女の子だったけれど、カマキリの絵を模造紙いっぱいに大きく描いた。みんなはそれはそれ幼児っぽい何かを描いていたのだろうけれど覚えていない。それを見て私は子供心に度肝を抜かれた。というのか、こんなやり方があったのかと非常にショックを覚えたのを未だに良く覚えている。

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ささげもの - 2018.02.04(ポケットの窓から)


はる 6131
 小学校に美術の専科の先生がいるのは神戸と東京だけだと聞いたことがある。嘘か本当か調べてもいないけれど、確かに私の小学校には美術と音楽の専科の先生がいた。子供ながら芸術は特別なんだという意識が芽生えたのは当然のことだな。どういった訳でそんな採用がされたのかは知らない。あらゆる教育の中で役に立つ、便利だ、是非とも必要だといった即戦力として利用できる学習だけを優先しないという心掛けがうれしい。

 まぁそんなことを書こうとしたわけではない。その時の美術の専科の先生は大西先生といった。そうだな子供から見るとおじさんだったけど、今から考えるちょうど脂ののった40代ぐらいの先生ではなかったか。小学校の低学年では担任が美術を教えていた。高学年の4年生ぐらいから専門の先生がついたように思う。

 なぜそんなことをよく覚えているかというと、大西先生はとにかく私の作品を褒めてくれた。他に私から見てとてもかなわないと思った作品を差し置いて私の作品をとにかく見本に選んでくれた。だからわたしも其れに答えるように精一杯の作品を作った。そうなると美術はほんとうに待ち遠しい授業になる。隣のクラスで今週はこんなことをやったという情報が入ると、家に帰ってそのシュミレーションをして如何に先生を驚かすアイディアを考えるか、そんなふうに待ち構えていた。運動会や何かで授業がつぶれるとほんとうに悔しい思いをした。待って待ってやっとその授業がまわってきた時はワクワクが最高潮で先生の説明など上の空、それもそのはず、何日も前からシュミレーションしていたからね。

 全校写生大会が年一回あった。これは今もやっているのだろうか?全校生徒がスケッチ道具と画板と弁当や水筒をもって近場の公園などに一日掛けで出かける。校外学習、遠足と写生を兼ねたような全校授業だった。これも嬉しかったな。自分では失敗作だと思った作品でも上位入賞した。他の科目はさておいて美術だけは得意だと勘違いしても仕方ないだろう。

 兎にも角にも私の人生の中で私の作品を「いい」と言ってくれた最初の大人は大西先生だった。私から見て上手な他の作品を出し抜いて私の作品を「いい」といってくれた、その理由はいまも分からないのだけど、なんだろう。何かわからないけれど何かあると勘違いしても仕方ないな。そう、そうやって今の私がある。先生の責任は大きい。


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今日のアトリエ - 2018.02.03(ポケットの窓から)


はる 6130
 「弘法筆を選ばず」ではないですが、私の道具はほんとうにボロイです。基本的に道具には凝りません。道具だけではないかもしれませんね。ほとんどの物にこだわりが有りません。身近にあるもので道具になるような物があればそれを使います。筆は生徒が残していったあまりもんで充分です。そしてちびてボロボロになるまで捨てません。絵の具を溶く皿は紙皿でこれも何年も使っていますから、余った絵の具がそのまま皿の形で固まっています。かなりの無精もんです。その代り筆は必ず毎回洗って干します。そうしないと長く使えないからからですが、それだけですかね。

 絵を描くことが好きな人は絵描きには向いていないのかもしれんな。最近そんなふうに思う。道具に凝って技法に凝って下地に凝って細部の描写に凝る。日本人の絵描きのほとんどが凝り固まった唯我独尊の世界に入り込んでいる。またそれをありがたがって周りが誉めそやすから余計にそんな絵ばかりになる。まぁこりこりに凝り固まる気持ちもわからんではないが、どうだ俺の凄さをみてくれ!みたいなものばかりだとげぇーとなってしまう。人が観て入り込める余地がない。完璧なんだな。私には無理。

 私のはすべてにおいていい加減である。出来るだけ何事にもこだわらない。絵も最後まで完璧には仕上げない。途中で飽きてしまうからだけど、綺麗に塗りこむことはしない。セザンヌの塗り残しなどとほざいてはいるがその実は飽きっぽいのかもしれん。そんなんでいいのかな。。

 とりあえずこのブログは毎日続いている。これだけはマメだな。

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画家・榎並和春です。HPはあそびべのHARU・ここだけの美術館

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