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あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

泉の奇跡」F20 混成技法 - 2023.09.26(未分類)
泉の奇跡F20pn
はる 8173
 2022「泉の奇跡」F20 混成技法
新潟ARTギャラリーHAFUで展示予定
■2023年 10/1(日)~10/15(日)
 10/1(日)在廊予定
第117回榎並和春個展
個展タイトル「ゆめのまにまに4」
 新潟・ARTギャラリーHAFU
新潟市北区太夫浜1013-4
025-258-4515
・・・・・・・・
「奇跡」という言葉をそれとは知らずに使っていたな。
ウィキペディア
奇跡は、人間の力や自然法則を超え、神など超自然のものとされるできごと。基本的には宗教および信仰と結びついていることが多い。 奇跡、miracleという表現はどちらかと言うとキリスト教などを中心として用いられる用語で、それに相当するような内容を仏教や神道では「霊験」と言い、たとえば「霊験あらたか」などと表現する。

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2023「子守唄」F6 混成技法 - 2023.09.19(未分類)
子守唄F6pn
2023「子守唄」F6 混成技法
新潟ARTギャラリーHAFUで展示予定
■2023年 10/1(日)~10/15(日)
 10/1(日)在廊予定
第117回榎並和春個展
個展タイトル「ゆめのまにまに4」
 新潟・ARTギャラリーHAFU
新潟市北区太夫浜1013-4
025-258-4515

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1998「長い夜」F3 油彩 - 2023.07.11(未分類)

1998「長い夜」F3 油彩
麻布に 綿布 段ボールなどをコラージュ
・・・・・
 今の水性のアクリル混成技法(異なった成分の画材を混ぜ合わせた画法)になる前の油彩を使った試作作品。油性のキャンバスにやすりをかけて油分を薄めてその上からボンドで布や紙をコラージュしている。25年経ったけれど今のところ剥がれる様子は全くなく。しっかり画面と一体化している。

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2023「猫を抱く」F3部分 未完 - 2023.06.23(未分類)

2023「猫を抱く」F3部分
未完
山梨新報 6月コラム
デッサンは必要か?
 最近はネットのSNSで情報発信することが多い。そういったネット上の話題で、これからの絵で生きたいと思っている人たちにとって、デッサンは必要か?というような話で盛り上がっていた。AIが描いた印象派風の絵など機械が描いたとは思えないとか、どこかの世界的な写真コンクールでAIの作ったポートレート写真が大賞をとったなど、従来の表現活動からは考えられないような話が頭から離れない。そうだな、これからイラストレーターとか漫画家とかデザイナーみたいに注文されて職業的に絵を描く仕事はかなりAIに代わってゆくだろう。例えば建築の表現世界では、もうすでにコンピューターなしではやってはいけないところまで来ている。既成の情報を最大限に生かすことが、コンピューターの得意とするところだから、その点ではすでに人の能力を超えている。写真が登場してきた時に肖像画家が存続を危ぶまれたように、消えてゆく職業も多いだろう。まぁ考え方次第だけれど、そういった意味ではパソコンさえ使えれば、趣味でアナログ的に絵を描く以外、デッサンは必要ないかもしれん。
 しかしなぁ、私がいうのもおこがましいが、デッサンというのは絵を描く道具というだけではない。あらゆる造形表現活動の基礎になっているもので、例えば全体と部分の関係とか、物が占める空間とそれ以外の間とか、線と面の関係とか、もちろん明暗やボリューム表現などなど、デッサンから学ぶことは多い。そこを学ばないで形だけなぞっても最初はいいけれど長く続けることは出来ないのではないかな。
例えばこの「魔法使いの弟子」は通常のデッサンからは出てこない。何故なら何かを描写しようとして描かれたものではないからだ。左の人物の身体も普通ではありえないほどねじ曲がっているし、プロポーションはでたらめだ。ところが私はそれでもいいように思った。それを生かすかどうかを判断する感覚は自分のなかにある。コラージュなどもそうだが、どこにどんなものが来るのか決まっていない。そのことがかえって面白い効果を生む。自分の感覚が平凡であることをよく知っているので出来るだけ予定調和は避ける。そうやって無理やり道草することで自分の持っているもの以上の効果を得ることがよくある。積極的に無駄をする。画面がどろどろの滅茶苦茶になったとしても、いずれはある方向に向かって収束するということを私は経験上知っている。それはみんなデッサンから学んだものだ。正確にものを写し取るといったことだけではない、物を作ることの大切な感覚をデッサンから学んだ。だから私は未だにデッサンする。凡庸な絵描きはデッサンを忘れるためにデッサンする。


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2023「無伴奏組曲」F3  - 2023.06.16(未分類)
無伴奏
2023「無伴奏組曲」F3 混成技法
未発表
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2023「野の百合」ドローイング 22x15cm - 2023.06.10(未分類)
野のユリpn
2023「野の百合」ドローイング
22x15cm

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オアシス - 2023.05.27(未分類)

今回の村上春樹の「壁・・・」の話のこと。彼の物語にしてはわりとすんなりと腑に落ちた。何故なら「あちらの世界」と「こちらの世界」ということを常に考えていたからだ。実際この言葉がでてきて驚いた。なにか相通じるようなものがある気がしたからだ。自分の表現ということを考えて行くと、いつの間にか「あちらの世界」に入り込んでゆく。例えばここにリンゴがあるとする。これを寸分たがわぬように描写したとする。リアルに描けば描くほど称賛されて「写真のようだ」と言われる。普通写真というのは現実の世界を切り取ったものだ。そのルールは我々の暮らしている現実の世界と同じだから分かりやすい。天は天であり地は地となる。雨は空から降って太陽は東から昇る。光が左から当たれば影は右に出来る。そういう共通の認識の上に我々は暮らしている。作られた世界もそうであろうという前提で出来ている。それを疑うことはない。だけれども、そうではない世界というのもあるのではないか。自分が創造した世界では雨は地から降って太陽は西から昇るかもしれない。そういうルールを自分でこしらえたわけだから。ただし、その世界は現実の世界から隔離されていなければならない。だから結界をはる。それが額縁だな。・・・

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わたなべゆう展 甲府 あさひ画廊 - 2023.05.20(未分類)

はる 8048
わたなべゆう展5月21まで
甲府 あさひギャラリー
ゆうさんはもっと評価されてもいい。
美術館収蔵級の作品が値段がついて展示されている。欲しい作品がいっぱいあった。
(一応撮影許可は取りましたが、他に盗用されないために、画像に無粋な斜線を入れました。あしからず)
・・・・・
 ゆうさんとの想い出
 あれは私が銀座で初めてか二回目の個展の頃だから90年のころだと思う。当時私も色んなコンクールに出品していたので、ゆうさんの名前は知っていたけれど面識もなくもちろんDMなど出した覚えもなかった。銀座の歩道をでかい男がぼろい布袋のようなものを担いで悠然と歩いていた。誰だろう?ホームレスにしては小奇麗だし、とにかく他を圧倒するようなオーラ―を出していた。かっこいいなぁと観ていたら、何と私の個展会場に入って行くではないか。慌てて会場にはいって挨拶を交わしたのを覚えている。それから銀座で個展を開催した時は毎回来てくれた。今年表をみると歳は私とさほど変わらないのだな。
 それから二三年後の活躍は目を見張るものがある。上野の森で大賞をとって安井賞まで、気が付くととんでもない大物になっていた。しかし、大器は最初からそんな雰囲気を備えているもので彼は無名の時から変わらなかった。時代が追いついただけだな。


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映画「Living」生きる」を観た。 - 2023.04.19(未分類)
無題1
映画「Living」生きる」を観た。
 黒澤明の「生きる」をノーベル文学賞作家のカズオイシグロが脚本を書いた。まぁそれだけで否が応でも期待が増す。しかし、黒澤の「生きる」を観た後味とこの映画を観た後味とはかなり違うものだ。特に黒沢の「生きる」を自己の映画史上ベスト5に入ると思っている人間には、評価は自ずから辛くなるのは致し方ないことだな。
 「生きる」を観たことがない人に少しだけあらすじを書いておこう。ある老いた官吏がガンの余命宣告を受ける。それまでただなんとなく、お役所仕事を繰り返していただけの名もない真面目な公僕が何のための人生だったのか、俄然そこで考えるわけだな。要するに彼らにとっての仕事というのは如何にして自らの手を煩わせないようにするか、そのことが第一の重要ごとであって、そのほかの事は気に留める必要のない些細な事柄でしかない。住人の役に立とうなどという役人は一人もいないという前提で成り立っているという話だな。
メメントモリ「死を忘れるな」という有名なことわざがあるけれど、このテーマも形を変えたメメントモリだといえる。普段何気なく過ごしている日常生活も期限が切られると俄かに殺気立って一分一秒が大切に思えてくる。気が付く前も後も同じ時間が流れているにも関わらず、人間とは哀れなものだ。
 最初に印象が少し違うと書いた。その根底には日本人の死生観と欧米人のそれの違いではなかろうか。「生きる」の主人公を演じる初老のうらぶれた窓際の志村喬と「Living」の英国紳士で高級官吏のビル・ナイとは受ける印象もかなり違う。それはそれとして、我々の中にはわりと死を受け入れやすい死生観があるように思うな。克服すべき悪というのはなく、極自然に日常生活の延長上に死を観ているような気がする。それに対して欧米の死生観は死は絶対の悪、克服すべきものというような、死を生の対局としてとらえているような気がするんだな。
 だから反対に「生きる」を観た後味はねっとりとした哀愁と寂しさをまとっていてなかなか離れない、対して「Living」の方の後味はさっぱりとして肯定感に満ちている気がする。さて、どちらが好みなのか、観るひと次第であろう。


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裸婦クロッキー2023/4/16 - 2023.04.16(未分類)




DSC04910.jpg





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DSC04907.jpg



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画家・榎並和春です。HPはあそびべのHARU・ここだけの美術館

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