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あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

子羊を抱いて」 - 2020.12.19(作品)

はる 7172
  いよいよ明日から私は出発します。
 皆さまは充分に気を付けておいでくださいませ。
■2020年 12月21(月)~12月26(土)
第102回榎並和春個展 「いつものように」
銀座 ギャラリー惣
Tel. 03-6228-5507
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少し前に書いた文章に手を入れて、地元の新聞のクリスマスに掲載します。
・・
それでも人生は面白い
今年もクリスマスのシーズンがやってきました。この原稿が掲載される日はちょうどクリスマスの当日ですね。いくつになってもこのシーズンは何かしら心が浮き立ちます。
さて、今年もまたクリスマスにちなんだ話を書きましょう。自分なりの解釈なので間違えているかもしれません。あしからず。
親鸞に「悪人正機説」というのがあります。こんな話です。善人と悪人がいたとします。善人はいい人なんだから救われて当然ですね。反対に世の中で悪の限りを尽くした悪人はどうでしょう。悪人だって人間です。その悪人を救えなきゃ本物ではないのではないか。そんな話です。人間は間違いを犯す動物ですね、皆聖人君子のようにはいかない。どこかで嘘や方便を垂れ流しているわけで、そんな嫌われ者の悪人こそ人間として救いを求めている。そんなことだろうと解釈している。
それとキリスト教の「放蕩息子の帰宅」とどことなく似ている。放蕩息子の帰宅ってそれだけじゃ何も意味はない。でもその逸話を読むと何となく理解できる。兄弟が居て親は財産を等分に分けます。兄は真面目で優秀で親父の跡を継いで仕事を続ける。出来の悪い弟は旅に出て全財産を使い果たしてしまう。それで最後には親父を頼って帰るしかなくなってしまう。そこまでなら「アリとキリギリス」の話みたいだけれど、そうじゃない。親父はその出来の悪い息子をあたたかく迎えるんだな。出来の悪い人間ほど本当は救いが必要なんだ。出来のいい人間は放って置いても何とかなる。そうやって信仰の必要性を語っている気がします。
遠藤周作の「沈黙」の話もどことなくつながる。人格的に優れた人間とか、正直で真っ当な人間はもちろんこの社会では称賛されるし信頼も厚い。優等生なわけです。信心で言うなら全く疑いもせず、それ一筋に信じ切るそんな人間の方が人間として優れているとされる。ゆるぎない信仰心は人間としても格が上なわけだ。だけどね、人間ってそんなに上等な人ばかりじゃない、もっとこうカッコ悪くて嘘つきでだらしなくてでたらめでいい加減なんかじゃないか。例えばキリスト教徒なら踏み絵を踏めと言われればひょいひょいふんでしまうような、とりあえず嘘をついて言い逃れしてしまうようなそんな弱い人間の方がまともじゃないか。でもそれでも救ってくれるのが信仰なんじゃないか。というのが大きなテーマだという気がする。人間はけっして美しくもないし、かっこよくもない、弱い存在だ。さて、それでも生きて行くことは面白いと思いますが、如何ですか?


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