あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

今日のアトリエ - 2018.02.23(ポケットの窓から)


はる 6140
 長い間高校で美術の非常勤講師として全日制が一日、定時制が一日、都合二回教壇に立っている。もう来年で35年になる。私より古い先生はいないから校長先生でも怖くない。結構居心地がいい。ここで仕事を貰っているのは無論生活の為というのが大きい。絵描きなどという不安定な収入ではなかなか暮らしは立てにくい。かといって正規の学校の先生になるつもりはなかった。安定した収入を取るか、不安定でも自由気ままな生活を取るかだな。

 この間大学の先生の話が載っていたけれど、数字は定かではありませんが、正規の大学の先生の年収は1500万で、同じような仕事を非常勤にやってもらうと年間150万だとか書いてあった。だから当然大学からすれば非常勤をたくさん雇った方が安上がりとなる。

 私が学校を出た頃1975年頃だっけ、オイルショックがあって日本経済が大きな痛手を受けた。オリンピックを挟んで万博、ゆけゆけドンドンで経済成長してきた日本が石油一つでこれほどつまずいてしまう、もろいものだと気付いた時だ。私はまともに就職するつもりもなかったので仕事など何でもよかった。その場しのぎのアルバイトでも気にしなかった。

 非常勤の仕事を始めた頃に組合を作ろうという話があった。立場の弱い非常勤は一人では戦えないからね。学校側も非常勤がいなきゃ実際困るだろうからね。徒党を組んで自分たちの要求をアピールしようという話だ。まぁ理解はできますがね、私は参加しなかった。私は好きでこの仕事を選んだわけで、絵を描く片手間に先生をやっているわけだから、何処か心苦しいところがあるわけで、立場が弱いぐらいがちょうどいいと思っていた。先生としては最低の教師だ。

 何でこんな話を書くかと言えば、派遣法が出てきた85年頃の話で、今からは働き方が自由に選べる。自分のライフスタイルにあわせて時間も職種も自由に選べるなどとほざいていた。その結果いまの労働者の非正規の割合、過労の度合いはどうだ。自分が進んで非正規を選んだのなら仕方ないけれど、まともに就職できない若い人たちは結婚も家庭も子供も持てない。少子高齢化と言われているのに未だに決定的な策が打たれないのは怠慢だな。それに今回の裁量性って何。まともに考えているとは思えんな。革命が起きてもいいくらいだ。

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今日のアトリエ - 2018.02.22(ポケットの窓から)


はる 6139
 二匹目のどじょうではないけれど、この間の話の前(写生から)の話をしましょう。違うという人はスルーしてください。

 もちろん写生にも自己表現があります。でも比較的にその割合が少ないし意識するようにとは教わりません。何も考えずに頭をからっぽにしてモチーフに向かう事で比較的に簡単に無意識の領域に入ることが出来るのですね。まぁ要するにもうここで結論が出ていますが、如何にして無意識のというのか天然の状態になるかという事になるのでしょう。最初から天然の人もいますが、普通の人はかなり練習しないとそこまではいけません。

 話がまたそれてしまいました。絵を描く人が誤解していることが一つあります。発達段階ではありませんが、最初は写生から始まって段階を踏むと自然に造形の段階に入って行けると思っていることです。これははっきり言いますが、写生は表現の前段階ではありません。写生は写生で一つの大きな領域なんです。写生で画道を全うしようと思うならそれも一つの生き方だとおもうのです。ただ写生をいくら繰り返しても造形的な絵にはならないということです。造形的な絵にしようと思ったら意識を変えなければなりません。反対に言えば何かを意識することから始まるのです。絵で何が出来るか、何をしようとするのかを意識することです。

 ここでセザンヌの話を書いたものを載せます。
はる 5791
 画面をどうして平面化するのか?という質問を受けた。そうだな凄く当たり前にそう信じて絵を描いてきたけれど、あらためて聞かれると上手い具合に答えることが出来なかった。何故なんだろう、考えながら書いてみる。

 画面の平面化を意識したのは、学校に入って毎日絵だけを描いていればいいという環境になってからだな。静物を並べてそれをそのまま描いていた。ところが何枚も描いている内に段々飽きてくる。どう描いてもそんなにかわり映えしないからね。受験勉強のようなテクニックだけの絵を描いても仕方ない訳だ。がりがりの具象をやるならそれでもいいのだけれど、そちらの方には興味が向かなかった。

 具象でありながらどこか新しい解釈で絵を描く方法がないかと模索しているときにセザンヌと出会う。むろん昔からセザンヌは知っていたけれど、それほど臨場感はなかった。ところがその時にセザンヌの方法が道しるべのように立って私に方向を指し示してくれた。取っ掛かりを与えてくれた。そこから近代の美術史が目の前に開けたような気がして嬉しかったな。ピカソ、ブラック、などのキュピズムの巨匠たちの方法徹底的に真似した。

 なぜ平面化なのかという問いだな。ここらあたりにヒントがあるきがするな。絵画の再現性みたいなことだけれど、写真が出来るまではリアルな三次元空間を再現するというのが絵画の一つの大きな役割だったわけだ。ところが写真が発明されて視覚的なリアリティはカメラに負けてしまう。それを追及したところで叶うはずもない。

 もう一つは作家の表現ということになるか。職人としてよりも作家として自己の表現ということを第一とするようになってくるわけだ。そうなってくると反対に絵画の再現性みたいなものが反対に邪魔になってくる。そこに縛られていたのでは表現の枠が狭く感じられるようになってきたのではないかな。絵画の本質はそこにはない。作家の表現を第一に考えるならば絵画の再現性という枠から出る方が自由になるという事かな。

 セザンヌがやった重要なことは絵画をリアルな再現性というところから解き放ったことだ。時間経過を多視点という方法でとらえてあらためて自分の意思で組み直して構築したという今までの絵画ではまったく考えられなかったことをやったことだ。これで絵画は閉じられた空間の中である一定の理で並び替えられた色と形の集合体であるという理論に行き着くのだな。

 何故平面化か?という問いの答えは、絵画を再現性から解き放つことにある。再現性から自由になることでダイレクトに自己の表現に向かえるからだ。そのことのために絵を描くのだからね。


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今日のアトリエ - 2018.02.21(ポケットの窓から)


はる 6138
 昨日の文章をFBで発表したら結構波紋を呼んだ。適当に書いた文章なのにな。でも無視されるよりはうれしい。やはりというのか今ブームになっている人形さんのようなブロマイドのような絵に対して疑問を持っている人は多いようだな。そりゃそうだろ。可笑しいもの。

 絵が分かる」っていったってそれが花であることが分かるというのじゃ絵を描く意味ないじゃんなんて思ってしまう。綺麗なねーちゃんを綺麗になめるように描いてそれが何んだ。趣味悪いじゃんなんて思う。

 よく思うのは欧米の作家と日本の作家の違いです。どちらがいいかという話ではないのですが、例えばスペインの具象の巨匠ガルシアなど近くで観ればそんなに細かくは描写していません。反対に日本の今はやりの具象画は明らかに説明画です。描写とは私はどう見たか見えたかの表出だと思うのですね。写真を見てそのまま説明するのであればパソコンで充分なんでしょう。やはりそこに発見がなければ、解釈がなければとおもうのですが、そんなことを感じました。

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今日のアトリエ - 2018.02.20(ポケットの窓から)


はる 6137
 何か変な文章だけど、そのままアップします。

 学生時代によく思った。例えば花を一生懸命写生するとする。初期の目的は美しいものを出来るだけ忠実に描写しようとする。でもまぁどれだけ頑張っても実際の花よりは劣るのは仕方ない。自分の目を通したある種の美しさを表現するという事になる。絵画には絵画の言語があってそれを学ぶことである程度描写することはできる。デッサン、陰影、色のハーモニーとか形のリズムとかムーブマンとか。画材特有の技術の習得。

 でも今感じている気持ち、不安とか焦燥感とか苛立ちとか幸福感など、今ここで感じていることとはまったく関係のないことだ。今を表現しなくて何が表現なんだ。確かにそりゃ確かに何か感情的なものを描きこむことはできたとしても、ここで花を描写してもあまり意味ないわなぁ。今やっていることと実際に表現したいことの間には凄いギャップがある。

 例えば文学や音楽は直接感情に訴えてストレートに心打つ。いい歌を聴けば実際泣けてくるし、映像なんかもそうだ。いい映画を見ると感動で震える。絵でもそれくらいの感動や共感を見る人に与えたい。それには綺麗な花をそのまま上手に描いただけじゃダメなんだな。ただ綺麗な花がある、お上手ですねで終わってしまう。そんなことのために一生を費やすのじゃつまらない。

 絵を観ることで観た人の人生を振り返ることができなければ、フラッシュバックできなければ共感することはありえない。作家はそれ以上に自分の心の中を覗き込むのだ。そうやって吐露することで観た人の共感を呼ぶのじゃないだろうかな。


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はる 6136 - 2018.02.19(ポケットの窓から)

はる 6136
 大阪の学校を卒業して焼き物の絵付けの仕事をしていた。当時考えていたことははっきりとは覚えていないけれど、何をやっても何処にいても生きて行ける自信はあった。でもそれは時限爆弾のようにタイムリミットがあっていつまでもとはいかないのは分かっていた。しかし、日々の忙しさにかまけて、出来るだけ見ないように考えないようにしていたんだな。

 私は職人になりたかった訳じゃない。ただ流されるように髪を切って小奇麗にして就職するという気には到底なれなかった。学校卒業すればどこか適当な就職口を見つけて、どこかで自分と折り合いをつけて満員電車に揺られて会社勤めをする。何の特技もない人間はそうやって他人様の釜の飯を食うしか方法はないじゃないか、そうそれは頭では分かっていたのだけれどどうしても「いやだ」。兵隊のように良く見えない敵に向かってがむしゃらに戦うのはどうしても「いやだ」。その考えはいつごろから有ったのだろう。

 それだったら大型の免許でも取ってダンプの運転手でもなった方がいいと真剣に考えていた。使われることに変わりはないのだけど、何か自由がある気がした。もっと好きなように生きてみたい。学校卒業するまでは親の言いなりでも仕方ないだろう。学費やその他いろいろ世話になっているのだから、そこからは例え野垂れ死にしてもいいから好きに生きて行きたい。何だろうこれは、表面上には表れない心の奥底にある願望だな。

 仕事と収入、自分の生き方、何をしたいのか、何が出来るのか、そこら辺りは本当に良く考えた。二十歳そこらの若造じゃ絶対に結論などやしない。収入を得る方法は何処かで身を売って、時間を売って得るしかないのだからね。結局何もしたいことなどなかったのだ。絵描きになりたかった訳じゃない。たまたま最後に残ったのが絵を描くということだっただけだな。

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1971年神戸から北海道 - 2018.02.18(写真)

はる 6135
 馬鹿をやる体質は変わらんな。関西ではイチビリという。何と言うのかな、お調子者。目立ちたがり。そんなところか。ほとんどホームレスのごとく駅や空屋に忍び込んで野宿のごとく寝ていた訳だから高田渡の「ところ構わず寝たのです」そのままです。そんなのでも生きて行けたのですな。若いという事だ。

 ある意味で放浪者というのか浮浪者というのか、何処でも何をやっても生きて行けるそんな人間になりたいと思っていたな。でもそれって何処から来ていたのかな。ある種時代の傾向だと思うのだけれどね。ビートルズから始まった反体制的なスタイルというのか、そんなものにどっぷりと浸ってしまったようだな。今もあまり変わらんけど、当時はもっとそんな傾向が強かった。就職したくないとも思っていたな。

 何だろうな世捨て人的な生き方が憧れだったな。まだこの頃は絵を描いてなかったからな。模索していた時期だろう。
 


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天使の門 - 2018.02.17(ベッドの上の王国)
天使の門_

捧げもの_

復活_

孤島の王_

再生1_

再生2_

はないちもんめ_


ダイナミックなもの、生命力_

いつものはる_
はる 6134
「天使の門」 大学ノートに万年筆 ボールペン 2000 4/15

2000年の4/12から約一ヶ月間、生涯で始めての入院生活を経験しました。治療は胃の全摘出。ここでの生活は今まで以上に「いま、このとき」を大切にしなければという思いにかられました。

 この「天使の門」はその時に、ベットの上で落書きしたものです。人様に見せられるようなものでもないのですが、「悲しい人にしか見えない」何かが描かれているようにおもいます。一度ブログで発表したものですが、もう一度載せることにしました。


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今日のアトリエ - 2018.02.16(ポケットの窓から)


はる 6143
 さて何を書くか?そう思って何も浮かばない日もあるな。そういった時は何か目の前にあるものを取り上げる。例えば今目の前にあるのは万年筆だ。でこれについて何か思い出しながら書いてみよう。

 私が小学生の頃はまだ文具は鉛筆と消しゴムだったな。シャープペンが出てきたのは中学生の頃だったか。それでも今のノック式ではなく、ぐるぐるとネジのように巻いてゆくタイプだった。これは故障が多くてね。学生の文具というのはまだ開発途上だったな。高校受験の頃にはノック式のシャープンが出てきたかな。これで一気に鉛筆が筆箱から消えた。

 中学生の最終学年だったか、東京から転入してきた男子H君が万年筆を胸にさしていてカッコいいなぁと思ったことをよく覚えている。夏服になった時にさりげなく見えかくれしてこいつは何てオシャレなんだとおもった。まぁけっこう問題の多い生徒だったけど、私とは割と仲が良かった。今から考えると東京で問題を起こしていられなくなって関西の親戚に預けられたんだな。ギターで「禁じられた遊び」を上手に弾いた。そんなのも他の生徒と違ってたな。高校が違ったので自然に合わなくなったけど、噂ではヤクザになったと聞いたな。

 高校になって日記をつけるようになって筆記用具は万年筆、インクはブルーブラックと決めていた。あの万年筆はそんなに凝ったものではなかっただろう。たぶんスペア―インクが出始めた頃で、パイロットじゃなかったかな。万年筆は他の筆記用具と比べて何か特別感があって好きだな。今でも手紙とかハガキなどを書くときにボールペンより高級感があって使う。貰った場合も万年筆のインクの味は他とは断然違うように思うな。面倒だけれどね。

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haru 6142 - 2018.02.15(作品)

はる 6142
 私のネット環境はケーブルテレビのプロバイダーと契約している。最初の頃は電話回線を利用した環境で、まだ常備接続ではなく深夜11過ぎにならないと普通の電話料金を取られるスタイルだった。だから出来るだけ簡単に必要な検索や自分のメールをチェックするくらいだったな。

 この春からこのケーブルもやっと光ファイバーになるそうで、二三日前にその工事の日程やらの相談にきた。料金は変わらないにしても結構っ面倒な工事をやるらしい。どれだけメリットがあるのか分からないのだけど、一応光にしないという選択はないようだからしかたない。

 この際だからという訳ではないが、いままでバラバラだった電話とテレビとネットを一緒にすれば少しは割安になるという説明だったのでそうすることにしたのだけれど、私のところは電話がアナログ回線の黒電話だからどうなんだろうな。

 しかし、音声も画像もテレビ電波も何もかも光で送れるってどういうことだ。デジタルというのは何でもかんでも0と1のパルスに変えてしまう。もう人間の理解できる信号ではない。


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ペルソナ - 2018.02.14(作品)

はる 6141
 


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