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あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

松屋屋上 - 2020.02.26(ポケットの窓から)






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個展 - 2020.02.25(ブログ)

はる 6872
 明日から個展です。しばらく更新が滞るかもしれません。あしからず。4

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ブログ - 2020.02.24(ブログ)
無題4
はる 6871
 こんな意見を拾った。
笹本 正明

「カミュの『ペスト』は、オランという地方都市が伝染病のペストに襲われる様を描いているが、これはかつてヨーロッパで猛威をふるったナチズムの比喩だ。

カミュは直接ナチズムを描くのではなく、伝染病の比喩を用いることで、どんな時代にも通じる不朽の小説を残した。

ナチズムに対処するのも、伝染病に対処するのも、基本は同じだ(とカミュは言いたいようである)。

『ペスト』を久しぶりにめくってみると、まるで現在の日本を描いているように思える。

新型ウイルスが既に日本に入り込んでいるのと同じように、ナチズムの芽も、私たちの周りにひたひたと近づいている。これが大流行するかどうかは、私たちの対処次第なのだ。

あなどってはいけない。けれど過度に恐れすぎてもいけない。ナチズムのパンデミックを防ぐ為には、未知の伝染病に対処するのと同じように、慎重に、冷静に対処しなければならない。

ナチズムも人から人へと伝染してゆく。ヨーロッパの一部では既に猛威をふるっている。ナチズムの「感染者」には近づいてはいけない。自分だけは感染しないだろう、と甘くみてはいけない。

優れた文学にはワクチン効果がある。カミュは『ペスト』をそういう目的で描いた(と僕は思う)。

ナチズムは世界を覆いつつある。
この伝染病に感染しない為に、是非、カミュの不朽の名作を読もう」

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クロッキー - 2020.02.23(裸婦クロッキー)

はる 6870
 クロッキーは面白い。実際のものを見て描くクロッキーにしろデッサンにしろ風景写生にしろ、やればやるほど面白い。描きたい見本がそこにあるので迷うことがない。只一直線にモノと対峙すればいい。やればやるほど頭の中は空っぽになって、それこそ脳内モルヒネがきいて忘我の境地に至る。意識と無意識の境目にいる。そんなところが面白い。

 しかし、これをいくら繰り返しても表現には至らない。ただ描写が上手くなるだけだ。確かに造形のなにがしかのエッセンスは含まれてはいるのだけれど、それに気が付かなければないのと同じだ。見えないものは、気が付かないものは描くことはできない。

 ものすごく矛盾することだけれど、表現にいたる近道はこの意識と無意識の境目にあるのだな。いきなりそこに行ける人も稀にはいるけれど、多くの場合この訓練を経なければその境地にはたてない。

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- 2020.02.22(ポケットの窓から)


はる 6869
 それでは具体的に必要なセンスというとなんだろうか。ここに一本の線が必要だという感覚はどこから来るのだろうかね。センスと言ってしまえばそれですべてが終わってしまう。それを何とか分かりやすい言葉に変えたい。

 一番手っ取り早い方法は、回り道のようだけれど絵を描くことなんだな。なんだ、それじゃ答えにならんと思うかもしれないけれど、芸事というのは教わって理解できるものと、どうしても感覚的に自ら習得するものがあるような気がする。ある程度までは教えることはできるけれど、胆の部分は自分で習得するしかないな。

 しかし、それでも言葉にするとどうなるか。セザンヌの絵画理論は絵画とは一定の法則に従って色や形を組み合わせたものということになるかな。これは私なりに解釈したもので違うという人もいるかもしれんけれど、そのまま行きます。

 で、この一定の法則というのが大事であって、抽象であれ具象であれその絵画にとって一つの法則でできていればそれでいいわけだ。全体が一つのルールで出来上がっているということかな。

 例えば自然の風景を切り取って絵にするとするでしょう。写真などは全くこの世界を一瞬で切り取るわけだ。これと同じことを絵画ですると、絵としては成り立たないことになる。絵画というのは一つの閉じられた世界であってその絵画の外に他の場があってはいけないわけだ。額をつけるのだけれど、額は飾りではない。これは結界なんだな。ここは別の場(作者の場)であって他の法則は入ってこれない場なんだ。そのことを強くいしきすることだ。自然はどこをとってもこの大宇宙の法則で成り立っている。それと同じように自分の描いた世界は作者の法則で成り立っている世界でなければならないということかな。

 初心者の絵を見るとすぐにわかるのは、一つの絵の中に色んな法則が入り乱れて入っています。知ってか知らずかベテランの作家の絵にははっきり意識された一つの法則が見えるのです。絵を教えるという事は技術もそうですが、その人なりの理を見つけることをお手伝いするという事じゃないかと思います。これがなかなか難しいのですな。師匠の法則の押し付けになってしまいがちですが、そうではないのです。


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門つけ芸人 - 2020.02.21(作品)

はる 6868
 私の作品を絵だとすると何か違う。オブジェ、シンボルとか印、マーク、イコンのようなものだろうか。〇とか□とか△でもよい。そんな絵があってもいいのじゃないかな。反対に絵を絵らしくかく上手な作家は数えきれないほどいるわけで、だいたい子供のころから絵が上手な人が大学などでさらに磨きをかけて競い合うわけだ。もう誰の追従も許さないくらいになれば黙っていてもこの世界では売れっ子になれるだろうな。

 私のことを振り返ると、絵などそれほど上手でも得意でもなかった。高校卒業するまで絵など一枚も描いていない。大体高校で選択した芸術は音楽だった。かといってむろん音楽を専門にやれるほどの何もなかった。そこらへんにい普通のぼんくら学生だった。今もあまり変わんけどな。

 今でもそうだけど、物を作ることは好きだった。与えられた条件の中で最大限面白いものを作って人を驚かすというようなことが得意だったな。それと文章だけれど自分のことを考えるときに自分の中にある言葉をつなぎ合わせて心の中を語って行く日記みたいなものが好きだった。この日記を書くという習慣は中学生の頃からの習慣だな。書いているうちに心の中が整理されてゆくというのは今絵を描いて自分を見つけるというのとよく似ている。これも自分なりの方法だと思う。

 絵が自分を探してゆく過程で出てきたものだとするなら、上手である必要なない。むろんうまいにこしたことはないけれど。案外不器用で下手くそな方がいい味を出すようなきもする。何かを描写する必要もない。絵を描く例えばクロッキーしているときと使うセンスとは明らかに違う。あるものはなんだろうな。これだけは必要というのは。

 自分とは何なのか?この感情はどこから来たのか?なぜこのことが不安なのか?こう考えるはどうしてだろうか?という風なまぁそれが「こたえてください」というテーマにつながって行くのだろうけれど、どこまで行っても尽きないのは自分への興味というのか、自分を含めて人間への興味だろうかね。それを何とか表現したいという欲求だろうか。それがとにかく私を動貸している気がする。

 それでは具体的に必要なセンスというとなんだろうか。とにかく全体を統一する理を持つことかな。具象であれ抽象であれ、その作品を成り立たせている統一された理があればいい。

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- 2020.02.20(ポケットの窓から)


はる 6867
 午前中は地塗りの続き。東京から帰ってきたら新しい仕事にかかる。その準備。。

 午後からは県の芸術祭の会議。いつの間にかこういったところにいる。県の仕事はすべてボランティアで仕事をしてもお金にはならない。やりたくもないがやめるきっかけもない。誰かがやるしかないのだろうけれどね。

 東京はウィルス騒ぎで人が出ていないそうだ。デパートは今回だめかもしれんな。日本人はこういったうわさ話みたいなものに飛んでもなく弱い。みんな右へならえで戦々恐々になる。ウィルスもインフルエンザも同じようなものじゃないのか。備えは大事だけど、仕方ない。やるべきことを淡々とやるだけだ。



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ブログ - 2020.02.19(ブログ)
はる 6866
 午前中銀座松屋の絵を取りに来た。これでもう私が事前に出来ることは何もない。あとは展覧会を楽しむだけという事だけど、楽しめるためにはそこそこ結果がついてこなきゃね。もう98回もやっているわけだから慣れてはいるのだけれど、いい時もあれば悪い時もあるというわけだ。

 昼過ぎに野暮用で下町まで買い物に出かける。天気が良くて少し寒いくらい。気持ちのいいドライブになった。南アルプスはまだ真っ白い壁だ。何となくうきうきとするのは春が近いからかな。若い人が自転車ですれ違う。若いってことは素晴らしいなぁ。いつの間にか年取ってしまったけれど、自分にもあんな時があった。その時は何も感じなかったけれど、不安や心配事が胸に一体だったけれど、それでも精いっぱい生きていた。そうだな、少し疲れたかな。

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- 2020.02.18(ポケットの窓から)


はる 6865
 今日は定時制の学校でした。今年度最後の授業なんだな。三月は毎年卒業式や何やかやでほとんど授業がありません。非常勤は授業がなければお金になりません。当たり前ですが、考えてみるとおかしな話です。そこに授業があることを前提に日常を送っているわけですから、当然いくばくかの休業補償のようなものがあって当然だと思うのですが、まったくありません。長い休みはありがたいのですが二か月間の給料は0です。大体年間の半分くらいは授業がありません。私のように他で稼ぐすべがなければやってはいけないでしょう。若い先生などこれからのことを考えればこんな不安定な職業などにつくべきではありませんね。

 芸術家などという職業はありません。作詞家という職業はありますが、詩人という職業がないのと似ています。画家は自己申告なので一枚の絵を描かなくても「私は画家です」といえば明日からでも画家になれます。それで生活できるかどうかそんなことは関係ないのでしょうね。

 芸術家というのは生き方なんでしょう。


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ブログ - 2020.02.17(ブログ)
はる 6864
 今日は画像を飛ばしたけれどまだつかないようだ。そのうちにつくだろうか。

 さて今日は何があったのか。午前中は小品の下張りをした。昨日の写メに張り付けたようにカラフルなプリント布をパネルに貼りこんでいる。この状態では作品が何に化けるのかまるっきり分からない。とにかく出来るだけけばけばしい色の布をコラージュする。何も考えないので楽しいといえるかどうかわからんな。とにかく仕事はした。もう松屋の個展の準備は額入れまで終わっているのでやることがない。

 午後からは定期健診。

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画家・榎並和春です。HPはあそびべのHARU・ここだけの美術館

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