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あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

はる 8373 - 2024.04.15(ポケットの窓から)

アトリエの一隅



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山口画廊 画廊通信254 - 2024.04.14(ブログ)
さて、お待ちかねの山口さんの画廊通信。今回の文章は本人よりも深い「画家 榎並和春論」になっています。お暇な折にゆっくりお読みくださいな。
パソコンでは表示できるのですが、携帯だとテキストが上手く表示できません。とりあえずスクリーンショットしたものをアップしておきます。
画廊通信24-1


画廊通信24-2


画廊通信24-3

画廊通信 Vol.254              問う人
 榎並さんが「こたえてください」という象徴的なタイ トルの作品を発表してから、早くも四半世紀以上の時が 流れた。画集によると制作が1997年、次頁には「こたえてください5」という作品も掲載されていて、こち らは2000年の制作となっているから、おそらく数年 をかけて連作されたものと思われるが、紛れもなくこの 作品こそが、現在私達の知る「榎並和春」という画家の 起点であり、原点である。画集には制作年順に作品が並 べられているので、画家の辿って来た作風の変遷が良く分かるのだが、この作品を境にそれ以前と以降とを比較 してみると、大きく変わった事が3点ほど挙げられる。
 一つは使用する絵具がそれまでの油彩から、水性の自製絵具に変わった事。詳しくはアクリル・エマルジョンを展色剤として、黄土・弁柄・胡粉・金泥といった東西のあらゆる顔料は元より、それ以外にも砥粉や壁土等々の通常は「画材」とは言わない材料に到るまで、要する に「粉」であれば何でもピグメントと見做し絵具として用いるという、極めて自由な画法を発案するに及んだ。 自ら「混成技法」と称するその画法は、実はそれだけで はない。それにプラスして、古今東西の有りと有る様々な端切れをコラージュの材料として用い、アクリル樹脂の強力な接着力を武器に、布に限らず貼れる物なら何で も貼ってしまえという、大胆不敵とも言える自由度にまで画法を拡大した。以上が駆け足になるが、絵具とそれ に伴う派生技法の、大幅な変化に関しての概要である。

二点目として挙げるべきは、絵画構成が一変した事だろう。80年代後半から90年代半ばにかけて、榎並さんの油彩表現は一つの完成されたスタイルに到るが、それは多様なモチーフを重層的に組み上げた、かなり構成的な作画を特徴とするものであった。それが油彩から混成技法へと変わるに伴い、絵画構成も文字通り「一変」する。つまり、とことんまで練り上げたかのような画面 構成を綺麗さっぱりと捨て去り、ほとんど計算の感じられない、極めてシンプルな画面へと変貌するのである。 これは「混成技法」という新たな技法から、それまでとは180度違った斬新な制作手法を、画家が引き出した事に因るものと思われるが、それに関してはこの場に何度も記して来たので、ここでは簡単な説明に留めたい。 結論から言えば、榎並さんは設計図を捨てて、構造計算を已めたのである。言わば徒手空拳で真っさらな画面に向かい、壁土を塗り込んだり、布地を貼り付けたり、顔 料をぶちまけたり、金泥を掛け流したりという、混成技法ならではの奔放な作業の中で、そこにゆくりなくも浮かび上がり出現する何かを待つ、即ち通常には受動的な「待つ」という行為を、積極的に仕掛ける行為へと転換 し、やがて画面に降り立った何者かを捕え、彼らと共に 手探りで着地点を目指す、これら一連の行程が榎並さんにとっての「制作」であるのなら、そこに通常の構図や 絵画構成が存在しないのは、至極当然の成り行きと言えるだろう。こうして画家は混成技法という新たな画法から、「現れるものを待ち、且つ現れたもので表す」という、これもまた全く新しい手法を編み出したのである。

綺麗な山や川もいいけれど、もっと切実な気持ちを表現できないだろうか。今自分が直接悩んでいる事や疑 問そのものを絵に持ち込んで、ダイレクトに訴える事 はできないだろうか。今を生きるこの気持ちを表現しなければ絵画などやる意味もない、そう思いました。 「こたえてください」というのは、そういった私の根源的な動機を表しています。このタイトルを思いついた時は震えるくらい興奮しました。問題の解決を提示するのではなく、答えを求める姿そのものをテーマにする事。生き様をそのままテーマにする事で、自分の気持ちを直接、表現できるようになったと思います。

以上は画集に掲載されていた、作家自身の手記からの 抜粋だが、この言葉からも明らかなように、三点目として挙げられる事は「テーマの変化」である。おそらく以 前の制作は、その都度に生じて来た或るテーマを基に、 絵画表現を新たな領域へと推し進めてゆく、概してそんな姿勢で為されてきたものと思われるが、対して混成技法に変わって以降は、本人の言葉を借りれば「問題の解決を提示するのではなく、答えを求める姿そのものをテーマにする」という手法に、大きく指向を転化させた。 思うに「テーマ=主題」とは、自ら設定した「問題」の 謂であるから、必然的に絵画表現はその「答え=解決」を指向する事になる。榎並さんはそのような「問題の解 決」に縛られた制作を離れて、問題を追うという姿勢そのものを放棄したのだと言える。換言すれば、あらゆる テーマを捨て去る事によって、画家はありのままの自己に向き合う事を可能にした、即ち最大の問題とは「私自身」に他ならない事を、榎並さんは長い道程の果てに発 見したのである。これは前述した新たな制作方法が、自から導き出した指向と言えるだろう。つまり「設計図 を持たず、現れる何かを待つ」という制作の場合、そこに何が現れるのかは作家自身でも分からないのだから、 そこに何らかのテーマを 予め設定する事など、むろん出来よう筈がない。未知の邂逅を求めてひたすらに待つ、そんな制作を日々飽く事なく繰り返す中で、いつしかテーマという或る種の桎梏は、画家の内奥からあたかも霧が晴れるが如くに消え去ったのだと思う。その意味で、 上に「テーマの変化」と記した箇所は、正確には「テー マの消滅」と言い直すべきだろう。この「主題=問い」 を何処までも追い求めたその果てに、ただ「こたえてください」と問う自分自身を見出した──という経緯は、一つのアナロジーとしてだが、全てを徹底して疑い抜くという「方法的懐疑」の果てに、そこに疑い得ない自分 自身を見出したという、あの有名なデカルトの手記を彷 彿とさせる。ご参考までに「方法序説」からの一節を。

 (あらゆる事を疑い抜いた後で)私は次の事に気が付 いた。即ちこのように全てを「偽」と考えようとする 間も、そう考えているこの私は必然的に何者かでなければならないと。そして「私は考える、故に私は存在する(我思う、故に我あり)」というこの真理は、懐 疑論者達のどんな途方もない想定といえども、揺るがし得ないほど堅固で確実なのを認め、これを哲学の第一原理として受け入れられる、と判断したのである。

 という訳で、言うまでもなく両者の共通点は、徹底して自らの課題を探求した末に「問う私」或いは「考える私」という他ならぬ私自身をそこに見出し、その「私」を自らの出発点に 据えた事にある、蛇足ながら。さて、ここで私達は或る困難な問いにぶつかる事になる、即ち 「こたえてください」という問いは、誰に向けられた問いなのかと。まず考えられるのは「それは、自分自身に 向けた問いである」という答えだが、これに関してはや はり画集に記されていた、画家のこんな言葉が参考になるだろう──私は何なのか?という問いかけは、複雑に 絡み合った糸を解きほぐすようなものだ。どんどんと下に降りていって、もうこれ以上行けないという所から眺めてみると、分かることもある。絵を描くとは、そのための道具だ──如何だろうか。何処までも自分の内面に入り込んで行って、もうこれ以上は行けないという、最奥の領域に辿り着いたとしよう。そこから自身を省みた 時に、画家は何かを垣間見たのかも知れない、しかし何かが見えた事によって、往々にしてまた見えない何かが生まれてしまう、そんな際限のないループに陥った時、 画家は自分のこれ以上は行けないという地点から、更に自分に向かって「こたえてください」と問うだろうか。     
 実際の絵画を見てみると、冒頭に挙げた「こたえてください」という二つの作品は、画面の中央に描かれた人 物が、両者共に上方を振り仰いで、何かに向かって手を差し伸べている。おそらくその何かは、彼には見えていない、それでも彼は見えない何かを仰ぎ見て、その何かに向かって手を差し伸べ、確かにこう問いかけ、呼びかけている、「こたえてください」と。ならば彼の深遠なる問いは、自分に向けられたものではない、彼は内省の果ての暗い奥底から、ひたすらに天を仰いで問い続け、 呼び続ける、おそらくは「私」という狭小な領域の彼方に在るのだろう、より高くより大きな何者かに向けて。

 たぶん人が自らの精神に、何らかの道理や真理を希求 する時、歩むべき道は二つある。即ち、省みるか、仰ぎ見るか。省みる人は、徹底した内省とそれによる冷徹な 分析で、自己と自己を取り巻く世界の秘密を、論理の限りを尽くして明らかにする、いわゆる「哲学」の道を歩む。片や仰ぎ見る人は、鋭い直感と深い瞑想を通して、より高くより大きな何者かを感知し、それを仰ぎ見て生きる日々の中に、至高の摂理を見出してゆく、これは狭義には「信仰」、広義には「宗教」と呼ばれる道であろう。両者はその特質を全く異にする事から、古来より相 反する道を歩まざるを得なかったが、一方では互いの共通点を結合して学理を立て、新たな融合の道を探りゆく 歴史もあった。きっと徹底した内省と究明の果てに、仰ぎ見る何かに触れた人も、多々在ったのではないだろうか、所詮「真理を希求する」という意味では、歩む道は 違いながらも、両者は同じ到達点を目指すからである。
 閑話休題、榎並さんの長い道程を思う時、榎並さんもまた、そのような「省みる」行為の果てに「仰ぎ見る」何かを見出した人だと思う。画家の言葉を借りれば「どんどんと下に降りていって、もうこれ以上行けないという所」に、正に「仰ぎ見る」何かを、言うなれば「より 高くより大きな何者か」を見出したのだ。榎並さんの言 う「どんどんと下に降りていく」とは、つまりは描く事に他ならない、画家は抽象的思考を 弄ぶような人種ではなく、あくまでも「描く」という実践の中で、感性に触れる何かを探しゆく者だから。先述の如く、榎並さんにとっての「描く」という行為が「待つ」事に等しいのなら、ひたすらに画面に仕掛け、ひたすらに待ち続ける日々の中で、或る日そこに降り立つ何者かに、ゆくりなくも触れ得たのだろう。思わず画家は問う、「こたえてください」と。しかしそれは答えない、ただただ静かに穏やかに沈黙している。画家は更に問うだろう、そして決して返っては来ない答えを、虚しく呼び続けるだろう。 やがて画家は自ずから悟る、問い続ける「私」がここに 在れば、それで良いのだという事を、そして最早その時に、追い求めるべき答えなど要らないのだという事を。

 画集には「こたえてください」という作品の後に、更 に「いのりのかたち」「おおいなるもの」といった作品 が続いている。タイトルを列記しただけで、榎並さんの 目指した所は明白だろう。それが近年は、殊更な宗教性は影を潜めて、何気ない日々の一 齣を描いたような作品が多くなった。しかしながら暫くも絵の前に立てば、そこかしこから画家のあの永遠の問いかけが、微かにも確かな響きで私達の心に届く。画家は、何気ない日常にこそ潜むのだろう「おおいなるもの」に向けて、今日も静かな祈りと共に問い続けている──こたえてください。               (24.04.11) 山口雄一郎


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くじらのほねリーフレット - 2024.04.13(ポケットの窓から)



 毎年この時期に榎並さんの個展を企画させていただいて、早くも今回で4度目となりました。この度も近隣の山口画廊さんと同時開催とさせていただき、山口画廊さんでは板パネルを支持体にした混成技法によるタブロー作品を、くじらのほねでは画用紙が支持体のドローイング作品をご紹介させていただきます。
 繰り返しになると思うのですが、榎並和春という作家は私にとって特別な作家であり、多分この事実はこの先も揺らがないのだろうと思います。「絵を売るお店をやりたい」と思いながら、具体的なイメージが何も掴めていなかった 20 代の頃。日本の多くの方々と同じようにもともと美術館でしか展示を見る機会も経験も無かったので、今の作家の絵を見始めたのはそんな構想が頭に浮かんでからでした。それからはたまたま見つけたギャラリー等を覗くなどして、これまであまり接点が無かった現存作家の作品に触れ始め、全く知らなかった世界を楽しく見て回っていた記憶があります。しかし一方で「美術館に並ぶ絵との違い」のような感覚が、漠然としながらもわりと早い段階で自分の中に生じていたことも覚えています。それは美術館で見てきた絵から感じていた何かが、それまで見てきた現存作家の絵には無いという感覚で、その“何か”は具体的な言葉で形容しがたいのですが、それが無いことは自分の中で明確な差異として感じ続けておりました。その差異の存在は長らく疑問だったのですが、美術館で見てきた作品の多くは昔のもので描き手が生きた時代が今とは違うためだろうと、いつの間にかそう考えるようになっていました。榎並さんのタブロー作品を始めて見たのはその矢先だったと思います。初めて見た時はただ衝撃で頭の中が真っ白になり、次にやっと浮かんだことは「美術館の絵みたい」という言葉でした。「時代が違うから」と諦めにも似た小さな結論が軽々と吹き飛ばされていったあの出会いは、自分の中のチャンネルが明確に切り替わった瞬間であり、その後のモノの見方は大きく変わったと思います。結果として今の自分とくじらのほねがあると考えると、あの出会いは、出会いそのものが自分にとって大きな希望であったと思います。(2024 年 4 月 飯田未来子)
■2024年 4/25(木)~5/12(日)
 榎並和春個展
個展タイトル「日々賛々」
 山口画廊 タブロー(板絵)
 企画画廊くじらのほね(ドローイング)
 西千葉 同時開催
 山口画廊 
https://www.yamaguchi-gallery.com/
 企画画廊くじらのほね 
https://www.gallerykujiranohone.com


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瓦礫の聖母 - 2024.04.12(ポケットの窓から)

はる 8370
2024「瓦礫の聖母」f20
山口画廊で展示予定
、、、、
■2024年 4/25(木)〜5/12(日)
 榎並和春個展
個展タイトル「日々賛々」
 山口画廊 タブロー(板絵)
 企画画廊くじらのほね(ドローイング)
 西千葉 同時開催
 山口画廊 
https://www.yamaguchi-gallery.com/
 企画画廊くじらのほね 
https://www.gallerykujiranohone.com
、、、、、
 元々は違う作品だった。それを壊して放って置いた。正月に能登で大きな災害が起きた。まるで戦火を受けたような悲惨な惨状を見るにつけ、むらむらと怒りのような感情が沸き上がってきた。
 戦火にしろ災害にしろちっぽけな一人の人間にはどうしようもない。ただ右往左往するだけだ。人の歴史を考えてみると、多くは名もない市井の人々の悲しみや怒りや諦めや祈りの重なりでできている。
 私のつくるものは芸術でなくてもいい、ただ綺麗なだけの壁の飾りではなく、もっと人の魂にダイレクトに響く切実なもの、多少なりとも救われる、気持ちが軽くなる、そんなものが作れないかと思った。そうでなければ一生かけてやる意味がない。



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耕す - 2024.04.11(ポケットの窓から)




はる 8369
電動耕運機を使って畑を耕す。耕すよりも絡みつく根の掃除に時間がかかる。まぁ手でやるよりはましか。















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ホームレス - 2024.04.09(ポケットの窓から)

はる 8367
今日のアトリエ
 打って変わって今日は冷たい雨が降っている。実は今日は出掛ける用事があって、こんな日に限って天気がわるい。桜もかなり散ってしまうだろうな。
 最近よく観るのはホームレスのyoutubeだ。意外なのは彼らは結構真面目な人が多い。まぁ見た目は小汚いレゲーのオジサンなので普通の人は敬遠するのかも知れないが。ほんのちょっとした事でそこまで落ちて行く。あなたも私も可能性はある。多くは人間関係だったりだまされたりした事がキッカケになる。共通するのは最初は普通の派遣労働者だった。それが歳をとると当然条件が悪くなって段々雇ってもらえなくなる。戦後日本の発展は金の卵とかいわれた地方の安い労働者を多量に雇い入れたことで成り立っていた。彼らはまがりなりも正規採用で生涯を保証されていた。小泉改革で労働者は正規労働者と派遣労働者に分けられた。名目は適材適所、自由な働き方が出来る、などなど。結局は資本家にとって都合のいい話で、派遣労働者は次第に落ちて行くしかない。そういった最後のカタチが彼らレゲー一族だな。しかし、なんだ、救いは彼らには全く悲壮感は無く、ここまで来ればいつ死んでもいいという、一種の覚悟というのか開き直りというのか、フリーランスで生きる極地を見るよな気がした。



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春になりました - 2024.04.08(ポケットの窓から)




はる 8366

春になったので、畑をおこします。
三坪ほどの小さな畑ですが、夏野菜などけっこう楽しめます。なによりこの時期の土の匂いがいいですね。我が家に入る路地は舗装していないので夏場は雑草との根比べですが、それもこれも楽しんでやっています。















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山口画廊DM - 2024.04.07(ポケットの窓から)

はる 8365



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はる8364 - 2024.04.06(ポケットの窓から)



はる 8364
借りている倉庫に出張して130号の仕上げ。本当はここはアトリエにしてはいけない。大家さんには内緒。
 ハガキサイズより少し大きいドローイングから2m近くある大作までご開帳します。それぞれ場所は異なりますが、機会が有ればご覧下さい。
■2024年 5/1〜5/13
 第98回国画会展
六本木新国立美術館
 
■2024年 4/25(木)〜5/12(日)
 榎並和春個展
個展タイトル「日々賛々」
 山口画廊 タブロー(板絵)
 企画画廊くじらのほね(ドローイング)
 同時開催











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ドローイング - 2024.04.05(ポケットの窓から)

はる 8363
ドローイングという名の落書き。たらし込んだ絵の具や墨のにじみやぼけから何がうかんでくるのをさっとすくい上げる。上手くいけば天才かと高揚するが、しばらくすると凡庸な絵柄にがくぜんとする。そんなことの繰り返しでなんとか20枚ほど仕上がった。企画画廊くじらのほねで25日から展示します。

■2024年 4/25(木)〜5/12(日)
 榎並和春個展
個展タイトル「日々賛々」
 山口画廊 タブロー(板絵)
 企画画廊くじらのほね(ドローンング)
 同時開催



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